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「おめでとう」に感じた違和感

過酷な就活を終え、行きたかった会社から内定通知をもらった矢先のこと。私は産婦人科で予期せぬ「おめでとう」を聞くこととなった。内定をもらったことだし、またピルの服用を再開しようと産婦人科を訪れた時だった。「ああ、お腹の中に赤ちゃんがいますね。おめでとうございます」という突然の宣告。ドクターに続いて看護師さんたちも次々と「おめでとうございます」「おめでとうございます」と声をかけてくれた。途中で呼ばれた母も、「ありがとうございます」と大喜び。私だけがそこに取り残された。

何が「おめでとう」なのか?やっとの思いで手に入れた内定、キャリアスタートのチャンスを、手放さなければいけないのか?困惑する中、「会社から内定いただいているんですよね」とぼそっと言っていた。するとドクターから、「内定は取り消されるやろね。向こうもコロナ禍で人員が削減できてよかったんやない?」とさらっと言われた。しばらく妊娠の事実を受け入れることができなかった。

誰かが赤ちゃんを妊娠・出産すると、多くの人がきまって「おめでとう」と言う。「おめでとう」と言われると、言われた側は、自分はしあわせだという素振りを示さないといけない義務感に駆られてしまう。自分以外の全員が祝福してくれる中、その ”めでたいこと” に対してネガティブな感情しか持てないことに罪悪感を覚えた。

私は今まで、赤ちゃんは望まれて生まれてくるものだし、望んでいなければ責任を持って避妊すべきだと思っていた。しかし、今回のことで、1つ1つの妊娠・出産にそれぞれの背景があることを体験した。自分の場合、留学や大学院進学など、あちこち寄り道したことで、内定を受け取った時にはすでに28だった。両親の高齢化や父の末期癌との闘病、向こうの両親の初孫を早くくれという期待、自分自身の年齢などがあり、一時期は学生中に妊娠・出産できればと思っていたことは事実だ。しかし、そう思っていた時期には何も起こらなかった。何で今なの?という気持ちと、でも、出産し、親の近くで生活することがみんなにとって一番いいことなのでは、という気持ちが私の中でぐるぐるしていた。赤ちゃんを諦めて自分のキャリアを始めるか、自分のキャリアを諦めて家族のしあわせを取るか。そもそもなんで女性だけがこんなことに苦しまなければいけないのかー 結局、過去に言われた「あなたは妊娠しにくい体質かもしれない」という言葉が決断の決め手となった。

現在、無事に出産を終え、3ヶ月になる息子・夫と暮らしながら地元で再び就活をしている。息子は2ヶ月ごろから表情を出すようになり、とてもかわいいし、あの時諦める選択をしていたらと思うとぞっとする。一方、自分のキャリアをスタートさせたいという気持ちも消えることはなかった。そんなある日、SNSで息子の写真を投稿したことがきっかけで、前回の就活インターン中に出会った友人から「出産しとったんやね!おめでとう!」というメッセージをもらった。彼女は無事にインターン先から内定をもらい、4月からそこで楽しく働いていることを教えてくれた。その事実が嬉しく、またとても羨ましかった。出産して3ヶ月。自分の決断に後悔はない。しかし、「おめでとう」の言葉を受け止められるようになるまで、まだ時間がほしい。

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