君たちって、キウイ、パパイヤ、いけず石だね。


皆様は「いけず石」というものをご存知でしょうか。
よく分からない方のために説明させていただくと、

いけず石は「主に狭い路地や曲がり角に建つ住宅等の敷地の角や端に設置される漬物石~ひざ下程度の大きさの石で、車両の進入による塀や外壁などへの接触・損傷を防ぐ。」(Wikipediaより引用)らしい。

詰まるところ、いけず石とは「自分の家や私有地を車から守るために設置された石」のことです。

私はこの「いけず石」を知った際にそれに対して
「不憫」というものを感じた。

何はなくとも名前だ。「いけず」て。


可哀想すぎませんか???

ただ存在しているだけなのに。

しかも、家を守るために設置された石、やってることは誰かを守るヒーローとなんら変わらないはず。

だというのに、車サイドの人間が邪魔だといって「いけず石ちゃん」のことを「いけず」などという蔑称をつけている。

こんな不憫な話があるだろうか。いや、あっていいはずがない。

あなた達は、ヒーローのことを「いけず」だと呼べますか?

次のマーベル映画のタイトルが「いけずーマン」 「ドクター・いけず」「いけ・ずー」だったらどう感じますか? 嫌でしょう? 私は嫌ですよ。

私たちはもっといけず石のことをヒーローとして賞賛するべきなのです。ああ、可哀想ないけず石ちゃん。

しかし、このように考えることもできます。

いけず石ってそこにある「だけ」なんだよな、と。

今までいけず石のことを擁護してたのにドリル手のひら返しをしてしまったことをまずは謝らせて下さい。

でも実際そうじゃないですか? ヒーローは守るために能力を使って「行動」をしています。
ただ、いけず石はどう足掻いても所詮はただの石。
ただそこに「存在」することしかできません。だって石だもの。

それをヒーローだなんていうのはいささか早計だったのかもしれません。ごめんね、スパイダーマン。ごめんね、ドクター・ストレンジ。ごめんね、シャン・チー。 

しかし、いけず石はそこに「ある」というだけで誰かの役に立っているのは紛れもない事実なのです。いけず石があるからこそ、車から自分の家を守ることができて家の景観が保たれている。

そう考えると、案外「ある」というだけでも、物事って意味を有しているのかもしれません。そして、それは人間にも同じことが言えるのではないでしょうか。

もちろん、仕事や恋愛など何かしら行動に移さなければいけない場面は人生において多くあります。
ですが、その場に「存在する」だけでも何かしらの働き、または意味を持つことだって勿論あるのです。

結局、何が言いたいのかというと「自分の存在が無意味だと思い込んでいても、いるだけで、誰かの役には立っている。」ということです。

何かしら、成果や結果を求められるこの時代で、「自分の価値」や「存在意義」について考えさせられることは多くあります。
そして、それについて多くの人間は「何をして来たか」と、自分がとった「行動の内容」で考えがちです。
確かに、それは重要なことなのですが、自分の行動に満足がいかないばかりに、劣等感や無力感を抱えることがちらほらあります。
それこそ、自分が無意味な人間であると考えることも。

ここで、頭の中に入れておいて欲しいのは
「私たちは存在しているだけで意味がある。」
ということです。
貴方にとって、いてくれて有難いと思う人がいる様に、貴方自身がいるだけで有難いと思う人は誰にも必ず1人くらいはいるものです。
そう考えると、自分のことが少しは好きになれるでしょう。
少なくとも、劣等感とかを持つ必要はなくなります。

誰もが誰かのいけず石。
自分のことを意味のある人間だと思える様になりたいですね。

おわり。










こんな文章書いてるとキモいポエマーみたいでやだから「うんち」と「狼狽」をおいていきます。

💩

たぬまむ?とはあわともよおんたほ、のへわろたるまわおあんはたらおさわお」とほた?ましふまおへとーもほ

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