コロナに感染したときの絶望と葛藤 | コロナ後遺症体験談#1
はじめに
私は2021年5月に新型コロナウイルス感染症に罹患しました。軽症のため自宅療養をしましたが、その後2年以上にわたってコロナ後遺症に苦しんできました。
味覚と嗅覚がなくなり、寝たきりになりました。
それでも2年以上かけて、ようやく少しずつ日常が戻ってきました。
コロナ後遺症は長引く上に先の見えない辛さがあります。
普通の風邪とは違い、いつ治るのかわからない、明確な治療法がない、色々な症状におそわれる、目に見えないが故に周囲の理解を得られない、そういった中で大きな不安を抱えている方も多くいらっしゃると思います。
コロナ罹患以前から様々な病気による闘病生活を送ってきた私の目線で、コロナとコロナ後遺症の体験談をお伝えしていけたらと思います。
あくまで個人の体験談のひとつとしてお読みいただき、ご自身にとって必要だと思う情報がありましたら、上手に取り入れて頂ければ幸いです。
そして、私の体験談がなにかひとつでもお役に立てたなら幸いです。
闘病中のコロナ感染
2021年、私は闘病の真っ最中でした。
一般企業に6年勤務しましたが、バセドウ病の再発、パニック障害、うつ、線維筋痛症、そして慢性疲労症候群のような原因不明の不調が重なり退職。
コロナに感染したのは、寝込まずに1日を過ごせる日が増えたり、少しずつ食事をとる量が増えたりと、退職後2年かけてやっと体調が安定してきた矢先のことでした。
症状が出てきたのは、2021年5月8日頃。
主な症状は、鼻水や咳など。当時は黄砂やPM2.5が多く飛来している時期だったのでそのせいかと思いましたが、5月10日の夜に発熱。
病院はもう終わっている時間。もともと闘病中で体力が無いのに発熱した状態で病院まで歩けるんだろうか。もしコロナだったら、外に出ることで誰かにうつしてしまうのではないか。まずは発熱外来のある病院を探さないと…。
いや、そんなこと考えてる場合じゃない。
そう思って、コールドクターを利用しました。
コールドクターを利用するという判断は、結果として大正解。深夜に先生が来てくださいました。
唾液によるPCR検査を行いましたが、緊張や不安や発熱で口の中はカラカラで大苦戦…。
それでも無駄のないテキパキとした診察で、あっという間に終わりました。深夜にも関わらず駆けつけてくださるコールドクターの皆様には、本当に感謝しかありません。
そして、結果をお知らせするまでには3日くらいかかりますと言われていましたが、2日後には電話がかかってきました。
N501Y変異株の陽性でした。
心臓が跳ね上がりました。
ですが、とにかく受け入れるしかありませんでした。
当時のコロナ事情
今では感染も珍しいことではなく「かかってしまっても仕方がない、お互い様」という風になってきました。マスクを外したり、旅行やお出かけをする人も増えて、だんだんと日常が戻ってきました。SNSでも普通に感染報告できるようになりました。
2021年の5月頃は、まだコロナ感染はイレギュラーな出来事だったので、ピリピリとした異様な空気が流れていました。
スーパーマーケットや商業施設では、コロナ陽性者が出るたびにいつどこの店舗で何人が感染したということを発表。陽性者が出た施設は数日間休業ということも普通でした。
SNSでは感染を隠す空気が流れていました。そういう中で「バセドウ病患者としてコロナ感染の情報を発信したい」とツイートしたところ、あることないこと知らない人たちから叩かれて、はじめての出来事に非常に落ち込む事態に。
コロナのワクチンに至っては承認されたのが2021年の2月ですから、まだ接種も初期段階。
根も葉もない陰謀論があちこちで囁かれていました。
コロナについて未知のことが多く、コロナ後遺症という言葉もほとんど知られていませんでした。
コロナよりも、人の方がよっぽど恐ろしい。そんな風に思わされるほど、色々なことがおかしくなっていたように思います。
一番の恐怖は「うつしていたらどうしよう」
陽性が判明してまず思ったのは「うつしていたらどうしよう」でした。
結論から言うと、同居している旦那さんを含め全員が無事でした。
祖父が亡くなって間もなくのことだったので、陽性が判明する直前に1度だけ祖父母の家に足を運んでいました。そのため濃厚接触者は、同居している旦那さんのほかに、父と母。短時間でマスクをしていたので濃厚接触者にはなりませんでしたが、親戚数名と祖母にも会っていました。
祖母は80歳を超える高齢者、うつしていたら命にかかわります。
実家には電話で、泣きながら「迷惑かけてごめんなさい」と何度も謝りました。
父は「謝らなくていいから、迷惑でもなんでもないから、とにかくこっちの事は気にせず休め」と言ってくれました。
私は、誰にどう責められても仕方がないと、そればかり考えていました。でも、接触のあった親戚も、そうでない親戚も、義実家も、誰一人として私を責める人はいませんでした。逆に、体調のことを気にかけたり、心配してくれました。
私は申し訳なさとありがたさの間で、ずっと泣いていました。
コロナにかかれば叩かれるような風潮が残っていた当時。
たとえ自分に非がなかったとしても、むしろそういう感染予防を重ねてきた真面目な方ほど、強い罪悪感に襲われて自分を責めてしまうのがコロナの怖いところなのだと感じていました。
もし会社に勤めていたら、と思うとゾッとします。たぶん、想像できないくらいに自分を追い詰めていたと思いますし、その心理的負担は計り知れません。
外食していたとか、遊びに出かけていたとか、感染予防をしていなかったとか、そういうことが無くても感染するのがコロナです。
真面目に感染予防をしてきたにも関わらずに罹患してしまった方は、たとえ周囲が何と言おうと、自分を責めない強い心を持ってほしいと切に願ったのでした。
何のせいで、誰のせいで…
それから、最初は原因を探すことに意識が奪われていました。普段テレワークの旦那さんが1度だけ出社した時にウイルスを運んできたのだろうか。食事も睡眠もとれていなかったから免疫力が落ちていたのだろうか。
買ってきたものは全てアルコール消毒、うがい手洗いは徹底していました。思い当たるのは、通院と、エアコンの修理業者さんが来たことと、整骨院に通っていたことくらい。
何のせいで、私はコロナに。
原因不明の体調不良で寝たきりの状態から、2年かけてやっと買い物や散歩ができるようになったばかりだったのに。
私、何か悪いことしたっけ。
本当にショックでした。
誰かのせいに、何かのせいにしたい気持ちに駆られていました。でもそういうことに、いつまでもとらわれたままではいけない。わからないことをいつまでも考えていても、意味がない。
はじめは誰かや何かのせいにしたくなっても仕方ない。コロナに限らず病気は辛くて苦しくて悲しいものだし、お金も自由も好きなことも根こそぎ奪っていくから。
私の20代は、常に病気がとなりあわせでした。バセドウ病、嘔吐恐怖症、パニック障害、うつ状態、原因不明の不調…、それらに、あらゆるものが奪われていきました。
そういう経験をしてきたから、病気がもたらすやり場のない辛さをどこかにぶつけたくなる気持ちは当然だと感じています。病気に伴う大きな悲しみを、すぐに抑え込むのは無理な話だと。
病気の理不尽さに直面した時というのは、何を責めたらいいか分からなくて、その矛先が自分や他人や社会に向きやすい傾向があります。
でも、自分や他人や社会を批判しても、病気は治りません。
だから、いつだって、どこかで切り替えなければいけない。
私が何か悪いことをしたからとか、誰かのせいとか、そうじゃない。
ありのままの今の自分の状態と現実を受け止めて地に足を付けて、今この瞬間、目の前にあることを、ひとつひとつ積み重ねていくしかない。
どれだけの分厚さがあるのかわからない「闘病」という教科書が開いたら、辛くても苦しくても悲しくても、そこから1ページずつ進めていくほかないのです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
私の体験談が少しでも参考になれば幸いです。
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