青年の主張 歌手・とんねるず伝説の大事なターニングポイント
青年の主張
リリース:1985年4月21日
オリコン最高順位:15位
ザ・ベストテン最高順位:15位
一気のヒットによって幕開けした歌手・とんねるず伝説
その勢いのまま、デビューアルバム「成増」を1985年3月21日にリリース。
そして4月21日に発売された4枚目のシングルが、青年の主張である。
結論から先に書くと、この曲はそこまでヒットしなかった。
そしてお笑いタレントや企画物歌手にありがちな一発屋に陥るピンチの曲であった。
青年の主張は、NHKの青年の主張を思わせる曲。
1番が石橋貴明による「乾布摩擦のすすめ」
2番がキナシノリタケ子による「アイドルの追っかけをやっててよかったこと」
まぁはっきり書いてしまえば、一気(後編)で書いた、お笑いタレントがよく出す曲の典型的なパターンである。
歌はサビの部分のみ。
あとは2人がそれぞれ「青年の主張」を語る。
一気の時と違うのは、歌じゃなく全編台詞なので、
夕やけニャンニャンなどではほぼ歌わずアドリブで喋り続ける始末。
とんねるずファンには楽しい一曲ではあろうが、
ファン以外にとってはただのコミックソングに過ぎない一曲。
お笑いに限らず一発屋あるあるは、
ヒットした次の曲は初登場順位こそ前作より上なものの売り上げは伸びないパターン。
121位からジワジワとチャートを19位まで上昇させた一気に対し、
青年の主張は初登場15位。
そしてそれを最高位にしたまま、これ以上上位には上がれなかった。
6月になりこの曲の存在を忘れかけた頃、
とんねるずは音楽番組で賞を受賞する。
1985年7月。全日本有線大賞上半期新人優秀賞のノミネートされたのだ。
ノミネートされた曲は「一気」。
結局最優秀新人賞は授賞できなかったものの、全国放送の音楽賞でとんねるずは「一気」を披露した。
この頃雑誌の「消えそうなタレント」、「つまらないお笑いタレント」のランキングではとんねるずが上位にランクインしていた。
この時点でレギュラー番組は「夕やけニャンニャン」、「オールナイトフジ」、「トライアングル・ブルー」。
関東ローカルの夕方と深夜番組で人気で曲も少し売れた。
世間の認識はその程度だったろう。
もし次の新曲も「一気」や「青年の主張」のような、
とんねるず色全開の曲を発表していたら、歌手とんねるずの伝説など生まれることも無かった。
コミックソングを歌う若手芸人から歌手の仲間入りを果たすため。
次にとんねるずが仕掛けた曲。
ここからが本当の伝説の始まりである。