人情岬 リリース:1986年10月21日 オリコン最高順位:2位 ザ・ベストテン最高順位:2位 これまでも指摘しているように、 とんねるずの楽曲は2曲1セットの形で新たな展開に変わっている。 ・コミックソング(一気、青年の主張) ・演歌(雨の西麻布、歌謡曲) ・アイドル路線(やぶさかでない、寝た子も起きる子守唄) 前作の勢いを借りて売れるのは2作目まで。 それを続けると飽きられる。 このパターンは、90年代の小室哲哉プロデュース作品や 21世紀以降のつんくや秋元康プロデ
寝た子も起きる子守唄 リリース:1986年8月5日 オリコン最高順位:4位 ザ・ベストテン最高順位:4位 キャニオン移籍2枚目となった「寝た子も起きる子守唄」は、 作詞:きたやまおさむ 作曲:林哲司 これまでの秋元康&見岳章コンビではない、とんねるずにとって異色作。 当時オールナイトニッポンでこの曲のリリースを発表した際、 石橋が「今回は作詞が秋元さんじゃない」 と話すと 木梨が「なんかあったか?」 とわざと揉めた雰囲気をトークの中に盛り込んだが、 もちろんそういうわけじ
やぶさかでない リリース:1986年5月28日 オリコン最高順位:2位 ザ・ベストテン最高順位:7位 とんねるず1986年度最初のレコードは「やぶさかでない」。 この曲からこれまでのビクターレコードからキャニオンレコードへ移籍する。 ビクターとの歌唱契約は1曲ずつだったとのことで、引き抜きでも契約違反でもなく、1986年春よりキャニオンレコード所属になる。 この辺の経緯は当時のラジオなどで話されていたが、ビクターとしては大きな魚を逃してしまった気分であっただろう。 そし
歌謡曲 リリース:1986年1月21日 オリコン最高順位:2位 ザ・ベストテン最高順位:2位 「一気」で音楽番組デビューを果たしたとんねるず。 「一気」、「青年の主張」は人気若手お笑いタレントが歌う企画ものソング。 その延長的に発表された「雨の西麻布」が前の2作を上回るヒット。 有線大賞最優秀新人賞や音楽祭ノミネートなど まるで歌手のような活躍をした。 まるで歌手。 「雨の西麻布」という真面目な演歌ソングをコメディアンが歌う。 もちろんボケたりおちゃらけたり暴れる時もあ
武道館ライヴが決まり、色めきだっているとんねるずのワンフー達でありますが、 何を歌う? 誰が出る? などあちこちで侃々諤々語られておりますな。 てことで、私もセトリを勝手に考えました。 全25曲。 LINE MUSICのプレイリストに入っています。 LINE MUSICやってる方はプレイリストから とんねるずを検索してみてください。 1曲目に選んだのは 「LATE SHOW」 待たせてごめん そろそろ始めるぜ の歌詞は、ボルテージが上がること。 間違いなしですな。
歌手とんねるずについて一回ちゃんと書いておきたいなぁと、 誰に見せるでもなく、とは言っても誰にも見せないのも何だし ブログかなんかで書いておこうかなと思ったのが 2018年春。 つまり「みなさん」が終わった時だね。 「みなさん」最終回で歌った「情けねえ」。 歌手とんねるずとしての評価ってもっと高くてもいいのになぁと ずっと思っていて。 とはいっても誰に頼まれるでもないまま いつか書こうと思いながら時は過ぎ その間、憲さんはソロやユニットで新しい音楽の世界を進み、 貴さんも元野
コミックソングに分類される 「一気」 「青年の主張」 に続いてリリースされた 「雨の西麻布」 男と女の別れ模様をうたったムード歌謡は、 オリコン最高順位5位、ザ・ベストテン2位、 そして歌のトップテンでは第1位を記録した。 ヒットの要因は 「とんねるず人気」 「夕ニャン人気」 「おニャン子人気」 という勢いはもちろんだが、 純粋に作品としてヒットさせた陣営に軍配が上がる。 とんねるずだからこうしよう、 ここお笑いにして… ふたりのキャラからして… と作られたのが「一気」であり
雨の西麻布 リリース:1985年9月5日 オリコン最高順位:5位 ザ・ベストテン最高順位:2位 歌のトップテン最高順位:1位 1985年にTBSテレビで放送されていた「EXPOスクランブル」。 平日月曜~金曜までの生放送。 同年春から秋まで開催されていた科学万博会場からの放送で 4月から7月までは夕方。 夏休み期間からは正午の放送に変わった。 その月曜日にレギュラー出演していたのがとんねるず。 ちなみにこの春から「夕やけニャンニャン」(17:00~)がスタート。 「EXP
青年の主張 リリース:1985年4月21日 オリコン最高順位:15位 ザ・ベストテン最高順位:15位 一気のヒットによって幕開けした歌手・とんねるず伝説 その勢いのまま、デビューアルバム「成増」を1985年3月21日にリリース。 そして4月21日に発売された4枚目のシングルが、青年の主張である。 結論から先に書くと、この曲はそこまでヒットしなかった。 そしてお笑いタレントや企画物歌手にありがちな一発屋に陥るピンチの曲であった。 青年の主張は、NHKの青年の主張を思わせる
前編を読む とんねるず以前にも、お笑いタレントが曲をリリースしてヒットした例はいくつもある。 とんねるず以前で一番近いヒットは、漫才ブーム時代のザ・ぼんち。 1981年1月にリリースされた「恋のぼんちシート」は、 オリコン最高2位、ザ・ベストテンでも4位にランクイン。 80万枚を売り上げる大ヒットシングルとなりました。 この曲は、ザ・ぼんちの漫才の持ちネタである「ザ・アフタヌーンショー」 のパロディを曲の中に入れるネタの延長のような曲。 この曲に限らず、 ひょうきん族でビート
一気 リリース:1984年12月5日 オリコン最高順位:19位 ザ・ベストテン最高順位:16位※スポットライト出演 正確に言うととんねるずにとって3枚目のシングルではあるが、 前の2作が「企画物」であり、実質これがデビューシングルとカウントされることが多い。 フジテレビの深夜番組「オールナイトフジ」にレギュラー出演していたとんねるず。 深夜の深い時間にも関わらず人気が高く、ブレイクの兆しが見え始めた1984年の年末。「一気」が発売された。 一気 当時飲み会やコンパなどで流
気づいたら54歳になっていました。 初めてとんねるずの「一気」をテレビで見たのが15歳の時。 実は「お笑いスター誕生」や「モーニングサラダ」はほぼ見ておらず、 「オールナイトフジ」が映らない地方都市の人間なので、 「一気」を歌う姿が実質とんねるずワンフーデビューの瞬間でした。 そこから「夕やけニャンニャン」が始まり 「二酸化マンガンクラブ」が始まり 「コラーッとんねるず」が始まり 「オールナイトニッポン」が始まり ・・・とさまざまな伝説、栄光が生まれるとんねるずを 高校、そし