KingGnuとSuchmosの両アルバムの再生時間と速度と総字数を解析してみた。~SNS的消費スピードについて~
いまやテレビを点けてもYoutubeを開いてもSpotifyをチェックしてもその名前を見ない日はないのではないか、
というくらいにメディアを横断し活躍するロックバンド 「King Gnu」。
もちろんフィルターバブルの時代であるから、ユーザーごとに違うネットの世界が広がっているだろうが、そんな壁すら軽々と越えてしまうほどにあらゆるタイアップに"飛び乗って"あるいは"跨って"、「お茶の間」を揺らしている。
そして King Gnu が登場する以前に楽曲『STAY TUNE』を引っ提げ世間を席巻したロックバンドである「Suchmos」の存在も忘れてはならない。
僕はこの両者から、同等の影響力を持ち合わせていながらも全くの別の道へ進んでおり、その対照的な作品の内容と活動にはスピード感の大きな違いを感じた。
そして換言すれば、僕が感じたそのスピード感の違いとは、
SNS圏と非SNS圏の時間感覚の差異が関係しているのではないか?と考えた。
どんどん多様な情報を大量に吸収していくのか、ローカルでクローズドな空間で一つ一つゆっくり噛み砕いていくのかは大きな違いがある。
そんな消費速度のギャップまで両バンドの作品には内面化されていると考え、
その仮説を元に再生時間やBPMの検証を試みた。
というのが本稿の内容である。
ーーーーー
○バズの論理とKing Gnu
僕たちの世界の「エキサイトメント」を測る言葉として「バズる」がある。
僕たちは容易に「いま、どこで、何がバズっているのか」を知ることができ、その情報処理スピードと範囲は加速度的に上昇し続けている。
(僕の観測範囲では、2007年に始まったカルチャーサイト『ナタリー』がその構造をいち早く作り上げたと考える。)
この「スピード感」は音楽の世界にも反映されている。
時を同じくして世界を賑わせ、まさしく「バズっている」シンガー、Billie EilishやLil Nas Xらは作品のクオリティや強度はさることながらも、プロモーションにおいてSNSを駆使しており、
「バズを起こす方程式」を確実に理解しているSNS世代だ。彼らの作品には、「ティーンが聴きやすい再生時間」や「歌詞のテーマ」、
「iphone純正イヤホンやスピーカに最適化された音作り」等、制作アプローチにまでマーケティング的アイデアが内面化されており、同時に楽曲のエモーショナルの補強をも果たしている。
そして、その意識を日本向けにローカライズしているのがまさしく King Gnu だ。
King Gnuの楽曲にも「最適な音量バランス」、「聴き取りやすいさ」に対する意識は張り巡らされているが、
特筆すべきなのは「リズムの速さ」、「音色の多さ」、「言葉の多さ」だろう。
短い再生時間に沢山のアイデアを詰め込まれた彼らの楽曲の特徴はその「過剰な情報量」にあり、
楽曲を耳にするたびに、Twitter的な情報処理スピードの速さや情報量の多さと共鳴しているように感じてならないのだ。
○「King Gnu=速い、Suchmos=遅い」から生まれた疑問
対してSuchmosはどうだろうか?2016年にリリースされた2ndEP『LOVE&VICE』に収録されたリード曲『STAYTUNE』でブレイクして以降、
ブルースやサイケデリックロックを背景とした独自の表現を追求しているバンドだ。
そもそもなぜ両者をわざわざセレクトしたのか?(そのセレクトは恣意的すぎないか?)という話でもあるのだが、
そのきっかけは個人的なリスニング体験にある。
それはある日、Spotifyのヒットチャートプレイリストをなんとなく聴いていた時、SuchmosとKingGnuが順番に流れたのだ。
僕は両者の表現や、情報量の濃度、テンポの速さのギャップに大きな衝撃を受けた。
どちらのバンドも近いリスナー層を獲得しているのに、提供するスピード感はまるで違う。
一言でいえば「KingGnuは速くSuchmosは遅い」。
このギャップは感覚的なものではなく、間違いなく構造的なものであり、時間やテンポを解析することで見えてくるものがあるのではないか?と考えた。
○両バンドのアルバムの「総再生時間」と「速さ(BPM)」を分析
そこで、
去年2019年3月にSuchmosがリリースした3rd AL『THE ANYMAL』と、
今年2020年1月にKing Gnuがリリースした3rd AL『CEREMONY』の
収録曲の「速さ(BPM)」と「再生時間」を比較してみた。
奇しくも、両アルバムとも収録曲数が等しい(12曲)ため、説得力のある計測結果を出せるだろうと踏んでこのアルバムを選んだ。
序奏、間奏、終奏など、計測対象に当てはまらない楽曲もあるがそれらは対象から省いて計測した。
(注:BPM・・・1分間あたりの拍数。数が大きいほどテンポが速い。)
○両アルバムの「速さ(BPM)」の比較
※楽曲:『閉会式』 ・・・ 当曲はテンポが流動的なため今回の調査では計測不可能としデータ外とする
[測定について]BPMの分析には、DJパフォーマンスに特化した楽曲管理ソフトウェア『Rekordbox』のBPM解析機能を用いている。また、この機能は自動処理のため、誤った楽曲分析を訂正し整合性を確認するためにアプリケーション『BPM心拍数測定カウンター』を用いた手動による測定結果も参考にした。
測定の結果、
Suchmos 『THE ANYMAL』での序奏などを省いた楽曲の平均の速さは「83.25」、
対してKing Gnu 『CEREMONY』での同条件下で計測した平均の速さは「116.56」
という数値となった。
ちなみにランニングにおける適切な心拍の速さを並べて挙げると、
安静時の速さは「60~80」、ウォーキングでは「100~120」、短距離走では
「170~190」と言われており、
Suchmos に比べて King gnu は常に小走りに近いテンポで進んでいることが分かる。
King gnu『Teenage Forever』に関してはBPM233と、私たちが全速力で走った時と同じ心拍数である(まさに同曲のミュージックビデオではフロントマンである井口理が全速力で走っているシーンからはじまる)。
同時に King Gnu は使われるコードの数も展開も多いが、Suchmos は遅いテンポが保たれ曲の展開も少ない。
○両アルバムの「再生時間」の比較
平均の再生時間においては、それぞれ序奏、間奏、終奏を除いた条件下では
Suchmos『THE ANYMAL』6分41秒
King Gnu『CEREMONY』3分43秒
という結果となった。
ちょうど2倍の差があることには驚いた。
○両アルバムの文字数(≒発音数)
ちなみに、文字数(≒発音数)も測定してみた。
[計測について]楽曲内の歌唱表現を忠実に参考にし、歌詞を全てひらがな読みに変換、英歌詞については発音数として測定するために、全て発音記号に変換し計測した。
こうしてみると、King gnuのアルバムの歌詞の文字数(≒発音数)の平均は、
730.4字、
Suchmosの平均は
388.6字となった。
またもや、2倍近い差がある。
○両アルバム、計測結果まとめ
この結果から分かることは、
[速さ(BPM)]について
King gnu『CEREMONY』の平均BPMは116.6であり、
この数値は一般的な人体の「安静」時の心拍数に近く、
Suchmos『THE ANYMAL』の平均BPMは83.3であり、
この数値は一般的な人体の「ウォーキング」時の心拍数に近い。
King gnuに関してはBPM200を超えるものもあり、200に及ぶこの数値は
私たちの「短距離走」時の心拍数に近いとされている。
対してSuchmosのBPMは常に70~90を保っており、大きな差が見られる。
[再生時間]について
King gnu『CEREMONY』の平均再生時間は3分43秒、
Suchmos『THE ANYMAL』の平均再生時間は6分41秒、
ほぼ2倍の差があることが分かった。
Suchmosのアルバムを一聴している間に、
King gnuの当アルバムを2周できるということである(当たり前だが)。
[文字数]について
King gnu『CEREMONY』の平均文字数は730.4字
Suchmos『THE ANYMAL』の平均文字数は388.6字
これも平均再生時間の差異と同じくほぼ2倍(1.87倍)の差があると言える。
○SNS圏と非SNS圏のスピード感覚が反映されている
上記の計測結果から僕が考えた仮説は、
King Gnu の異常な「情報量の多さ」と「速さ」は、
「SNS」的な情報量と消費速度に因るものではないか?というものだ。
まさしく King Gnu が掲げる「大衆性を迎合する」コンセプトそのものであり、
その手段や方向性はあまりにも如実に「速さ」、「再生時間」、「文字数」というデータに表れている。
対して Suchmos は、インタビュー記事などで伺うかぎり、
制作や生活場所を出身地である湘南に限定し、彼らだけのクローズドな空間で
このアルバムを制作したという。
だからこそどこか「浮世離れ」した雰囲気を帯びており、かつオンタイムの流行歌のルールに反した「曲の遅さ」、「一曲単位の長さ」、「表面的な情報量の少なさ」として明確にアルバムに表れている。「SNS」的な消費速度に適合してないのだ。
両者とも同時代を席巻し現代に住む私たちの声を代弁する存在でありながら、
全く違う時間感覚(長期的・短期的)による快楽をもたらしている。
○SNSだのなんだの言ったけど、ゆっくり鑑賞する感じでいきたいなと思ったのだった。
僕自身、音楽を聴くときに感じる「心地よさ」や「しっくりくる・こない」の基準はその時々のものでしかない。
まさに10年~2018年前後は、
世界的にも歴史に残るであろうエポックメイキングな作品、注目せざるを得ないミュージシャンの活動、我々の聴取環境の大きな変化などが多発した時期でもあるので、その興奮や熱気に、半ば自覚的に考えなしに熱狂していた(実際その方が楽しかったはず)。
しかし2019年頭にリリースされたSuchmosの本アルバムと出会った時期ぐらいから、
「今はしっくりこないが、後々効いてくるかもしれない」といった鑑賞をしていきたいと思いはじめた。
そして音楽に限らず、自分の消費速度を振り返ることで、それまでしっくりこなかった作品に感動するという発見を多くしたのだった。
結局Suchmosの新アルバムを聴いた時も最初はしっくりこなかったが、今では定期的に聴くアルバムとなってるし、一度消費の足を止めるのも大事なものだと思った。