池田山
五反田駅前、目黒川周辺にかけては飲食店街が広がるが、北に向かって登り坂となり住宅街が広がり、高知と低地でコントラストをなしている。
高輪台に向かって伸びる長い坂が相生坂、その坂を挟んで東側が島津山、西側が池田山である。どちらも「城南五山」であり、島津山は深い谷戸を挟んで高輪台、品川に抜けるソニー通りを挟んで御殿山に接し、池田山は西側に目黒駅を擁し谷を挟んで花房山に接する。
池田山は行政上の地名ではなく(住所で言えば東五反田)、江戸時代は備前岡山藩池田家の下屋敷があったためにそう呼ばれている。古地図を参照すると正面玄関はNTT東日本関東病院の入り口辺りにあったようで、屋敷の建物は斜面にそって作られていたのかもしれない。背後に当る北側には庭園が作られ、それは現在でも池田山公園として残されてる。
池田山と花房山は隣接するが真ん中を首都高2号線が走っている。首都高二号線の高架下の道路の西側は中丸と呼ばれ、中世の頃からの地名らしい(北側は長者丸と呼ばれるエリアである)。清朝ラストエンペラーの皇弟愛新覚羅溥傑とその夫人となる嵯峨浩の出会いの場であり、お二人が玄関前で並んで撮影された写真が残る10代目浜口吉右衛門邸が建てた洋館(現在は在東京タイ王国大使公邸)が現存している。
池田山の住宅街はかつての実業家伊藤鈴三郎邸(現在はインドネシア共和国大使公邸)や上皇后美智子さまのご実家跡(現在は公園)などもある。
五反田駅前から池田山に向かう途中にある五反田公園横の坂道は桜の名所ではあるが、坂の下の五反田公園、品川区児童センターのある辺りは明治時代に施行され近隣の村が合併した大崎町の役場跡地である。
(撮影 2024/5)