第61回図書館のゆくえ
1、導入
四柳嘉章さんは漆器研究を専門とする考古学者として、論文など拝読したことがありました。
第一線の考古学者が引退して、蔵書を地元の図書館に寄贈する、これだけ聞くとすごく自然なことのように感じます。
ですが、小さな町の図書館の実情はあまりにも悲惨で、ついにニュースになってしまいました。
2、図書館の実情
どんなに貴重な本が含まれていようが、
あるテーマに沿った一括性の高い蔵書であろうと、
小さな町の図書館のキャパシティではそのまま受け入れることは無理でしょう。
同じような規模の町の中の人としては痛いほどわかります。
うちの町でも個人から寄贈の申し出はよくありますが、私の知る限り受け入れた例はありません。
それでなくてもスペースは限られていますし、毎年微々たる図書購入費用でベストセラーみたいな本を買って終わりです。
正直個人的には魅力を全く感じない施設になっています。
3、公共施設の融通
近隣の街には物議を醸したツタヤ図書館ができ、そこにはたまに行きます。
分類や配架ルール、購入本のセンスなどで批判を受けたりしますが、それでもいくぶんマシです。
オシャレな雰囲気でも、ブランドコーヒーでも人が集まるキッカケがあり、本との出会いがある場所になっているのであれば、公共の施設としては成功なのではないかと思います。
こういうのを見ると、近隣の町でそれぞれ図書館を作って、市民ホールを作って、と似たような性格のものを作る必要があるのか甚だ疑問です。
図書館は隣の市に任せて、うちはオーケストラ呼べるホールつくるよーとか、
うちは町だけでなく少し広めの地域の歴史を学ぶことができる資料館をつくるよーとか
役割分担できないものでしょうか。
中の人としては、実際ハードルが高いことはわかっていますが、すごくもどかしいです。
4、私見
話が逸れましたが、現状を冷静に見ると
蔵書をたくさんお持ちの学者さんならもう少し配慮ができたのではないでしょうか。
町の社会教育施設への力の入れ方を見れば、いずれやっかいもの扱いされて廃棄されるのも予想できたでしょう。
また芥川龍之介の初版本はたしかに貴重ですが、町の図書館に必要ですか?
地域史を物語る資料こそ必要なのであって、好事家や古本屋さんが価値を見出すものは売ってしまった方が必要経費に使えるのではないでしょうか。
町側も批判を受けて、
今後は寄贈本を廃棄する際には寄贈者に連絡を取るようにしたい」とコメントしている。
などと言わないで
一度寄贈を受けた物は、売却も含めて有効活用させてもらう。売却した利益で郷土資料の充実や専門職員の雇用を図る。
とか言ってたほうがいいのに、と思います。
まあ他人事だから冷静に判断できるんですよね。