第338回 高級食器に盛られたものは
1、職場にご恵送シリーズ31
『多賀城跡調査研究所年報2018』
宮城県では国指定特別史跡多賀城跡について継続的な発掘調査と環境整備事業を継続的に実施しています。
この年報では第92次調査の成果が報告されています。
この調査は第10次五か年計画の最終年度として、多賀城創建期の区画施設南西端を見つけることを最大の目的として実施されました。
2、調査の一番の目玉は碗
最も大きな成果としては緑釉陶器の輪花碗(りんかわん)が出土したことでしょう。
図版は全て報告書より抜粋
輪花碗を含め、この調査で出土した緑釉陶器は27点。
この数は100m²あたりで計算すると、多賀城の中でも、中心的な建物があった政庁付近や城前官衙と呼ばれる地区と比べても段違いに多い数になります。
緑釉陶器が出土したのは10世紀中葉以降の地層からですが、窯跡である猿投(さなげ:現在の愛知県)や、都である平安京での出土例と比較して9世紀前葉のモノだと推定されています。
この輪花碗の類例(似たような出土資料)としては2点確認されているようで、嵯峨上皇御所だった所や、上皇の子である源融の邸宅であった所で出土しているとのことで、上皇との密接な関係が示唆されています 。
3、陶器が結ぶ京の都とみちのく
平安時代中期に編纂された律令の施行細則である『延喜式』。
神名帳が載っていることから「式内社(しきないしゃ)」の出典として知られていますが、
この条文の中に民部省所管の「年料雑記条」というものがあります。
ここには陶器生産地である尾張国(現在の愛知県西部)から中央に貢納される品目・数量・規格が記載されており、
この記述内容を出土した陶磁器に当てはめる研究がなされています。
今回多賀城で出土した輪花碗のサイズをこのモデルに当てはめると「中椀」にあたるようです。
「大椀」と「中椀」の出土例は平安京でも非常にまれだということで、そのような遺物が多賀城で出土したことになります。
この解釈としては、嵯峨天皇と密接な関係を持つ陸奥国司が下賜されたモノではないか、と報告書では推定しています。
このように小さな焼き物のかけらから京都とみちのくの繋がりが復元できるといういい例になったのではないでしょうか。