第773回 仙台城の発掘調査で見えてくる江戸時代の流通経済
1、職場にご恵送シリーズ67
本日ご紹介するのはこちら。
東北大学埋蔵文化財調査室調査報告8
仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区 第14地点 第2分冊
東北大学の敷地内で見つかった、江戸時代の遺跡の報告です。
第1分冊で主な遺構については報告されていましたので
出土遺物と総括が収録されています。
2、お金と茶碗
該当地点は現在、仙台市営地下鉄東西線の川内駅前広場になっています。
調査面積は954㎡とそれほど広くはないものの、
テン箱(文化財業界でよく使われる遺物収納箱)で79箱分の遺物が出土しています。
特徴的なものとしては仙台通宝が挙げられます。
(図版は全て報告書より抜粋)
実は仙台藩では財政難を解決するため、幕府に願い出て
独自の通貨を発行したことがありました。
天明4年から5年間だけ鋳造を許された鉄一文銭。
銭相場を混乱させる原因となっただけであまり効果はなかったようです。
実は仙台城内での出土は初めてで、広く仙台藩領の各遺跡で14の出土例が確認されているようです。
当時はインフレを起こすほどありふれたものであったにもかかわらず、
現在では稀なものになった、というのもなんだか皮肉なものですね。
そして陶磁器。
注目ポイントとして、漆継という、割れたものを修復して
再度使った痕跡があるものが48点もあったということ。
磁器については高級品はもちろん、比較的安価であったと思われる肥前の碗や皿などにもみられることが注目されます。
一方で陶器は大型製品や茶器に関連するものなど特別なモノに限られるというのも違いといして示されています。
陶磁器についてもっと掘り下げると、
共膳具と呼ばれる、碗や皿などの食器が
漆器・陶器・磁器という素材を組み合わせて使われているのですが
その割合が時期によって違うのではないか、とのこと。
水が溜まりやすく、木製品も腐らず残っていた池跡での割合をみるとそれぞれ違います(上図参照)。
同じく東北大学が調査した他の地点の成果でも
碗類では17世紀初頭から前葉の古い時代に漆器の割合が非常に高く、
次第に磁器が増えるものの、以前ご紹介した大堀相馬産の陶器が入ってくるようになると陶器の割合が増え、さらに幕末には地元でも磁器が焼けるようになると割合が高くなってくる、という傾向がありますので
それと比較するとそれぞれの池跡で見つかった遺物群がどの時代のものか
推定する手掛かりになるかもしれません。
産地別の割合では
2号池跡では肥前(呉器手碗・刷毛目碗・京焼風碗・銅緑釉皿等)と瀬戸美濃(腰錆碗・擂鉢・鉄釉甕類など)が半数を占め、京・信楽・岸窯の擂鉢・香炉、堺擂鉢・丹波擂鉢、信楽大壺、備前瓶など多様な産地の製品がみられるのが特筆すべきでしょうか。
3、高級品と日用品
いかがだったでしょうか。
江戸時代も後半になってくると商品経済が活発化し
武家屋敷だということを差し引いても、各地の陶磁器が多種多様に使われているということがよくわかりますね。
同じ時代の屋敷地を調査して、武家と商家と農家で陶磁器の産地別割合が
比較できたら面白いですね。
ただ、ここは東北大学のお膝元だから、
仙台城跡だから、特別に精緻な発掘調査が行われましたが
同じレベルで地方の農家を発掘調査できる、ということは期待できないのかもしれません。
そもそも現在も江戸時代と同じところに家を建て直してお住まいの方も多いでしょうし、
キリがないので地域にとって重要だ、と判断されたものだけが遺跡に登録されているという現状もあります。
個人的には流通とか陶磁器の産地などに非常に興味があるので
このテーマはもう少し掘り下げていきたいと思います。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。