第722回 法律案130条を明日まで読んできて的確な意見を国会で述べてね
1、国会会議録検索システム
を使って「文化財」という言葉が国会でどう語られてきたのかを
少しずつみていくこのコーナー。
ちなみに前回はこちら。
2、第7回国会 衆議院 文部委員会 第19号 昭和25年4月22日
ここでは文化財保護法案について参考人を承知して意見を聞いています。
トップバッターは東大教授で工学博士の藤島亥治郎。
戦前は朝鮮総督府京城工業学校の教授を務め、朝鮮・韓国の建築に関する調査を行っていました。
また岩手県盛岡出身ということもあり、平泉の遺跡調査会の代表を務め、毛越寺、中尊寺の整備にも尽力されたお方です。
なんと本来は同じ東大教授で仏教史家の辻善之助が予定されていたのが
急遽変更になったとのことで、
実は議案をいただいたのがただいまでございまして、内容を十分検討するひまがないのであります。
との衝撃発言から始まります。
意見の論点としては2点「天然記念物」と「埋蔵文化財」の扱いについてでした。
天然記念物は人の手が加わってないので、厳密にいうと文化財ではないのではないか、ということ。
もちろん保護の対象とするべきではない、ということではなく、
専門の審議委員として議論していく中で他の分野と意見の相違が出てしまうのではないか、という疑問を呈しているにとどまります。
むしろ国立公園の保存などと一緒に考えていくべきだという意見が述べられています。
続いて後段の埋蔵文化財について。
こちらも時代をいつまで保護の対象とするのか、
小さな土器一片でも価値のある時もあり、そうでない時もあるのにどうやって線引きするのか、という疑問が呈されています。
さらに引き続いて藤島の専門分野の古建築の話題に入っていきます。
議論の中で今野武雄議員が
歴史的建造物を保存修理していく、ということは歴史上いくつもの時代にわたって費用をかけて行なってきた制作を
現代に一度に行うようなもので事実上不可能というふうなものもたくさんあるじやないか。
と問い質されます。
流石にこれには藤島も反論して
実際今日は、国家としては一番惡いときですが、と前置きしつつ
改善の兆しに言及しています。
日本の国宝の中の三大破損として挙げられているのが
京都賀茂の燈明守本堂(賀茂御祖神社、通称下鴨神社本殿?)
岡山県美作市の長福寺三重塔(鎌倉時代の弘安8年建立で、昭和26年に移築)
山口市の一仏殿(山口県一関市功山寺の仏殿:国宝のことか?)
ですが、このうち二つは保存修理に入ったと評価しています。
ちょっと裏がとれないので評価は保留にしたいところです。
藤島が言いたかったのは
官民共同でやるように向けさせたいというのが、私の本旨であります。
ということに尽きるのでしょう。
続いて意見を述べたのは長瀧武という人物。
毎日新聞の論説記者で、徳富蘇峰の秘書も務めていたという経歴をもっています。
こちらは藤島と違って
実は昨日文化財保護法案をちようだいいたしまして、全文百三十條を三回ほど通読いたしまして、私の頭の中には全文暗記程度にこれが入りましたから、大体これに対する忌憚ない批判を申し上げてみたいと存じます。
と皮肉が聞いた前置きから意見を述べていきます。
指摘したのは音声の保存について。
声楽的な芸術しかり、明治天皇のお声も残しておくべきではなかったか、と指摘します。
次に問題にしたのは罰則の軽さについて
今日五年以上の禁錮もしくは懲役、十万円以下の罰金では国宝的もしくは重要美術品的のものを国外に流すということを、四十四條において禁止はいたしておりますけれども、今日保存に対する観念よりも、おのれのふところを暖めようという方が決して世の中に少くありません。従つてこんな罰則などは問題にしておらぬ。何も十万円くらいはお茶の子さいさい、こんなことなら国外に巧みに流そうじやないかということであります。
と危惧しています。
とは言いつつも日本の法律ではこの程度だろう、と承知していることを述べ、国民の協力を得られるような文言が必要ではないか、と提言します。
その中でさらっと面白い発言をしているのが、
文部省では文部大臣の訓示を保存していない
ということ。
明治5年以来、70人以上の大臣が就任し、自らの言葉を官僚たちに発しているのに公文書として残していないのはどうか、という趣旨で、
個人的に取材収集して自分の手元にある、と誇示しています。
さすが、文化財保護法案の意見陳述に民間有識者として招致されるだけのことはある、と感じてしまいます。
さらに今野議員が文化財の国外流失について尋ねると
(国会議員が政府ではなく、民間の意見陳述している人に尋ねるということ自体がちょっとおかしいですが)
英国の香港の戦略参謀長であった友人が日本刀の鍔を300点以上コレクションしていた、とか。
英仏米の美術館に所蔵されている重要美術品クラスのものが1000点以上ある、とか
根拠が弱いデータではあるものの、攻撃の手を緩めることはありません。
この言葉を政府ではどのように受け止めていたのでしょうか。
この日は所定の時間になったので閉会になっているため何も情報はありませんでした。
3、前も後も
いかがだったでしょうか。
重要な法律案の意見をもらうのに、前日とか当日に見せるとか
にわかには信じがたいですね。
人選もどのように行われていたのか。
それでもこうやって後世に残る重要な意見を述べる識者たちには
深い敬意を抱かざるを得ません。
政府も議員も国を良くしようとしていることは疑っていないのですが
もう少しやり方がなかったのでしょうか。
これが民主主義の宿命なのか、と頭を抱えてしまします。
戦前とか戦後とか、昭和とか平成とか。
そんなこと関係なく、いつの時代も政治の最前線も修羅場なのでしょうね。
最高意思決定機関も現場の末端もいつも修羅場。
それでも我々は生きていくしかない。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。