第142回 いかに魅力的であっても
1、語られた場について
「縄文の思考」と題して、小林達雄國學院大学名誉教授が行った講演が
公益社団法人 日本文化財保護協会 『紀要』第2号 2018.8
に採録されていました。
文化財保護協会というのは、発掘調査を民間で委託されて行う会社が集まって組織した団体です。
発掘調査の担当者に適切な資格がないことを問題視して、独自に埋蔵文化財調査士という資格を創設しました。
他にも「考古検定」という普及活動にも取り組んでいます。
2、先達の語る縄文世界
小林達雄氏は縄文土器の研究者として知られ、氏の古希を記念して編纂された『総覧縄文土器』は全国の縄文土器研究者169名が結集して、現在の研究の到達点を1400頁にまとめあげた金字塔的な著作として知られています。
ただし、近年は行き過ぎた縄文賛歌が一部界隈から問題視され、近著も政治的・思想的すぎるきらいがあります。
まずは講演記録を要約してみます。
最初の話題は「定住革命」について
旧石器時代は遊動性の高い生活のため、老人が落後していく。老人の経験・情報が蓄積されない、何十万年という長い期間、社会が右肩上がりで成長していくということがない。
一方で、土器の製作・使用が定住的な生活を必要にした。定住的なムラに情報が蓄積されていく。弥生時代以降の農耕がごく少数の栽培作物に時間と労力を投入することで安定を図るのに対し、「縄文姿勢方針」と名付けられた多種多様な食糧獲得戦略 を図っている。
という対比が語られています。
次に「道具」について
土器にしても、釣り針にしても、石槍にしても、「第1の道具」と氏が呼ぶ実用品については機能を突き詰めていけば「究極の形」ともいうべき形態をとるようになっていくので、どこからから伝播してきた、と考えるよりも遅い早いはあるにしても同時発生的に生まれたと考えることが実態に近いのではないか、ということ。
第二の道具については、江戸時代の柄鏡の例を出し「木賊刈」という謡曲を題材にしたモチーフを例に、前提となる知識がないと読み取れない物語があり、縄文土器の文様に込められた物語の理解が不可能なことを説明する。
最後は縄文人の言語について
縄文人の言語活動は日本語の豊かな「オノマトペ」に残っている。
そして総括として
縄文時代は共存共生ではなく「共感共鳴」だ。
縄文文化は世界遺産に入って当然の権利を持っている。これがうまくいかないのであれば、縄文文化の理解について、研究者の責任なのだ。
と語られています。
かなりざっくりまとめてしまったので、意図を汲み取りにくい部分もあるかと思いますが、
いかがでしょうか。
3、必要な考え方と求められる役割
まず「定住革命」については、土器
使用され始めたから定住したのか、定住したから土器が使えるようになったのか、という「卵と鶏」のような話になりますが、特に異論はありません。
ただし、老人の知識が蓄積されないことが社会の発展を遅らせたという考え方は少し飛躍かもしれません。定住によって老人が社会で存在感を示していたことは、感覚的には理解できますが根拠を示すのは容易ではないでしょう。
総括とも関わってきますが縄文時代が一万年続いたのは氏が唱える「共感共鳴」によって自然と調和した社会だったからで、旧石器時代が数十万年続いたのは社会が停滞していたからだというとはダブルスタンダードのような気がします。
道具についての考察は特に後半の「物語」を読み取ることの難しさをわかりやすく例示しているので大いに賛同します。
言語についてはより感覚的なものになってきているので、考古学という学問領域を超えた問題になってしまっています。
縄文文化の理解が足りないのは研究者の責任だ、という部分には好感を覚えます。
しかし、今の厳しい大学研究者の環境を鑑みると、酷なように思います。最先端の研究成果を噛みくだいて、教育普及に努めるのは、我々行政の学芸員の役割が大きいところであると思います。もっと言えば、大学研究者と現場を繋ぐ存在として自覚的に活動することが求められていると思います。
例えば、今回の例で言えば、いかな大学の名誉教授の言であっても、本来の考古学の緻密な積み上げに由来する部分とそうではない部分を区別して誤解のないように伝えることが我々の役目ではないかと。
まずはそのような存在であることを知ってもらって、信頼を築くことからですね。
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