第728回 ようやくスタートするも…
1、国会会議録検索システム
を使って「文化財」という言葉が国会でどう語られてきたのかを
少しずつみていくこのコーナー。
ちなみに前回はこちら。
2、第7回国会 参議院 文部委員会 第16号 昭和25年4月25日
ようやくここで「文化財保護法」(案)が審議にかけられ、
いくつか質問もありつつも全会一致で可決を迎えます。
議員立法ということで、両院で議論はすでに出尽くした、ということもあったかもしれませんね。
委員長を務めた山本勇三の言。少し長めに引用します。
この法案が立案されましたのは、只今の提案の理由の中にありましたように第五国会の初めからでございまして、一年有余の歳月がかかつております。その間委員会或いは打合曾等は五十五回やつておりまするし、非公式の會合は数え盡せない程やつております。又この法案は十回に及ぶ草案の改訂をいたしておるのでありまして、この法案作成までにはなみなみならぬ苦労を重ねておる次第であります。併しながら発議者各位のたゆまない努力と、眞劍な熱意によりまして、今日実を結ぶようになりましたことは誠に感慨に堪えないものがございます。一体議員が立法するということは非常に困難なのでありまして、その困難を我々は目の当り味わつて来たわけであります。
議員立法という形で立法されるのは当時まだ非常に珍しく、
各議員の文化財に対する思いがいかほどか、よくわかる議事録でした。
翌日、昭和25年4月26日には衆議院の文部委員会、参議院本会議、4月30日の衆議院本会議採択を受け、晴れて文化財保護法が世に出ることになりました。
山本は
この種類の法案は世界にも殆んど類例を見ない
と自賛し、法の性格を
一、有形文化財、無形文化財、天然記念物と文化財を類型化して把握したこと
二、文化財保護委員会(後の文化庁)や博物館など体制を構築したこと
三、補助金制度を整えて個人所有の文化財まで保護を目指すこと
と列挙しています。
現在まで70年も続く文化財行政の根幹が定まった瞬間ですね。
逆に言うと改正になったとはいえ、まだまだ既存の枠組みから抜け出ることができていない、ということにも危機感を感じますね。
3、第8回国会 衆議院 文部委員会 第2号 昭和25年7月24日
ようやく成立した、文化財保護法。
しかしその矢先に、「金閣寺放火事件」が発生してしまうのです。
鹿苑寺の舎利殿(国宝:通称金閣)や足利義満の木像(国宝)が焼失してしまうという痛ましい事件でした。
まあ原因は不審火ですし、保護法ができたからってすぐに国民全体が
文化財に対する態度を向上させ、保護と活用とをみなが図ってくれるわけでもないんですよね。
文化財保護法の前途は多難であると思われたのではないでしょうか。
しかも議事録によるとまだ文化財保護委員の任命もされていない段階で、とのこと。体制変革の間隙を縫って惨事って起こるもんですよね。
しかし、前年来国会での審議の様子が広がるについて「文化財」という言葉が広く知られるよい機会になったのではないでしょうか。
金閣の再建にかけても、文化財保護委員会(後の文化庁)の指導のもと、
適切な処置、文化財の価値を損ねるようなことがなかったことに
新たな法律が活かされたことは間違いありません。
今後も国会で「文化財」がどう議論されているか追っていきたいと思います。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。