第1371回 意外とあるのか人工木材
1、読書記録317
今回ご紹介するのはこちら。
月刊文化財 令和5年4月号 通巻715号
文化財の保存科学(3)―文化財修理と合成樹脂―
化学式やムズカシイ薬品の名前が頻出するかも、とおっかなびっくりでしたが、意を決して読んでみると多くの学びがありましたのでシェアしたいと思います。
2、樹脂ってすごい
川野邊渉「文化財修理における合成樹脂の使用について」
1960年代までは文化庁の指導で導入していたポリビニルアルコールが「温湯で溶解可能な可逆的材料である」と誤って認識され広く使用されてしまった。
という衝撃的な事実がさらっと書いてあり驚きました。
文化財の修復ってすごく神経を遣うんですよ。
長い歴史を経てきた地域のお宝を、「修理」するつもりが、実は悪影響を及ぼしていた、ということも過去の歴史の中ではありました。
ですから、もとからの材料に影響がないように、という配慮はもちろん、
もっと適した修復方法が開発されたときに、もとに戻せるという「可逆性」が大事になってくるんです。
失敗したらお湯で溶かせるから、と思っていたらそれが誤りだった、としたら衝撃です。
奥野裕樹「建造物修理における人工木材の使用と再処置―如庵を事例として−」
国宝三茶席と言われるのは
京都山崎妙喜庵の待庵
京都大徳寺の密庵
そして今回ご紹介する如庵。
https://www.aichi-now.jp/spots/detail/179/
如庵は現在では愛知県犬山市の日本庭園有楽苑に移築保存されていますが、
本来は織田有楽斎が建仁寺塔頭の正伝院を再興して建立した隠居所でした。
有楽斎嫡孫の織田長好死後は正伝院に寄進されましたが、
明治になって上地(あげち=公に取り上げられること)からの払い下げ、
さらに三井財閥に売却後、東京今井町の本邸に移築されています。
茶室をまるごと京都から東京に移築する、という発想がさすがは戦前の財閥ですよね。
戦災を避けて大磯別邸に移築。
昭和45年、名古屋鉄道の所有となり犬山に移築。
とかなりの大移動を経ていることもあり、修理は東京文化財研究所の指導のもと行われたとのこと。
堀口捨己(明治大学建築学科教授)を委員長として審議の上、修理方針が決まったとの記録。
数寄屋建築では当初材が特に重要視されるため、材の交換ではなく、「人工木材」による補修が実施されたのです。
人工木材は樹脂製で、最初は粘土のように柔らかく、硬化した後は木材のように鉋掛けや彫刻も行うことができる特徴を持っている様です。
さらに50年の時を経て、平成31年に大規模な修理が実施され、人工木材の修復材としての価値が試されることになりました。
その結果、人工木材の白化・断紋が確認されました。
断紋とは漆面に生じる亀裂のこと。漆塗りでは数百年単位で生じる劣化が人工木材では50年ほどで発生していることになるようです。
木材部分は1~1.5mm風食していましたが、人工木材は白化したのみでほとんど風食していない、という結果はその優秀さを示しています。
表面をこそげ落とし、隙間に人工木材を補填。木目を彫り、色付けすると区別ができないほどだというから驚きです。
虫害が多いところは人工木材、陽が多く当たるところは埋木で対応、うまく使い分けられて修理がなされた様です。
3、伝説の継承
いかがだったでしょうか。
千利休、小堀遠州、そして織田有楽斎と名だたる茶人が設計した茶室が紆余曲折ありながらも現代まで残されてきたことがまずすごいですよね。
ちょうど昨日仕事中に電話があり、
うちのお寺に小堀遠州作のお庭があるんだけど!
というご高説を承りました。
庭のことは詳しくわからないので真偽を断ずることはできませんが
遠州流、とか遠州作の庭に習って作りました、
がいつの間にか遠州が作ったんだ!になってしまうこともありますよね。
仕事しているといろんなことがリンクして考えされられます。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?