第756回 日本古美術海外展のはじまり
1、国会会議録検索システム
を使って「文化財」という言葉が国会でどう語られてきたのかを
戦後の第一回国会から少しずつみてきたこのコーナー。
ちなみに前回はこちら。
2、第11回国会 参議院 文部委員会 閉会後第1号 昭和26年8月20日
今回議題に上っているのは、
アメリカのサンフランシスコのデ・ヤング・メモリアル・ミユージアムにおいて日本の古美術展覧会を開催したいという申し出があったという一件。
現代的な感覚からいうと、博物館同士で資料の貸し借りをするのは珍しいことではないし、
わざわざ国会で議論するネタなのか?
と疑問を抱くところですが、これにはいろいろ諸事情があるようです。
まず当初は先方もハイル館長から日本の国立博物館の原田治郎氏に打診があったとのこと。
これを文化財保護委員会(文化庁の前身)はあえて国の管理の下で行う案件と判断したようです。
これを受けて山本勇三議員は
腑に落ちない。
と追及します。日本の美術品を海外の多くの方に見ていただく機会が得られることは望ましいとしつつも、時期とやり方はどうなのか、と疑問を呈しています。
というのもこれは9月に行われる講和会議、連合国諸国と日本との間の戦争状態を終結させるための会議に合わせた展示会な訳です。
山本議員が懸念しているのは、
日本にはまだこれだけの宝がある。戦争についての賠償をする能力があるのではないか。
と見られることのようです。
今から考えると驚きの展開です。当時のピリピリしたムードが伝わってくるような質疑です。
これに対して文化財保護委員会の高橋誠一郎委員長は、
委員会内でしっかりと議論した上での結論であり、移動の際に生じる損耗の危険性についても、責任を持って取り組んでいく、と明言しています。
それでも山本議員は食い下がります。
講和条約が調印されるかどうかのタイミングではなく、批准する時でもいいだろうし、
政府からの話ではなく、一私立博物館からの申し出だということも気になる。と
高橋委員長は
もちろん展覧会は機会を得てやっていくものであるが、やはり講和会議に世界各国から人が集まることを重視している。
期日のない中で最大限の注意を払って取り組んでいると反論します。
国が全面に出るのではなく、博物館同士の方が問題になりにくいのではないか、と主張する山本氏との議論は完全にすれ違っています。
この連載にも常連の岩間正男議員も山本議員に援護射撃を開始します。
文化財を国外に出すことには慎重であるべきだと。
高橋委員長はボストンでもドイツでもすでに大規模にやったことがある、と
本質を避けた議論になっているような印象。
政府と国会の議論というのはいつもこんなもんですかね。
議論はまだまだ続き、
ユネスコから日本の文化遺産を疎開させてはどうか、という話があったと真偽が不明な報道から
戦争を避けることが第一義であるべきで、文化財を疎開させて戦争できるようになるのは本末転倒ではないかとの追及がなされています。
対して高橋委員長は報道にあるほど日本の文化財は流出していない、と説明します。国立博物館の館長を務めた方の発言としては重いものであると感じます。
3、結果は杞憂でも
そして結局展示会はどうなったのか。
予定通り昭和26年9月6日~10月5日に
講和記念サンフランシスコ日本古美術展が開催されました。
続いて昭和28年にはアメリカ巡回日本古美術展として
ナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、シアトル美術館、シカゴ美術館、ボストン美術館
で展示会が行われました。
さらに昭和33年には欧州各国を巡回し、恒例化していくことになります。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokusaibunka/bunkazaihogo/kobijutsu_kaigaiten/index.html
近年では平成30年にフランスのパリでJOMON展が開かれたのが記憶に新しいですね。
結局、講和条約に悪影響を及ぼすようなこともなかったようですね。
たとえ杞憂に終わったとしても、ここで議論なされたことは意義のあることだったと思います。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。