第892回 国立近代美術館の所管はどこに
1、国会会議録検索システム
を使って「文化財」という言葉が国会でどう語られてきたのかを
戦後の第一回国会から少しずつみてきたこのコーナー。
ちなみに前回はこちら。
2、第13回国会 参議院 内閣・文部連合委員会 第1号 昭和27年5月9日
文部省設置法の一部を改正して国立近代美術館を創設、文部省の管轄としようという法案が提出されています。
これに対し、社会党の議員、矢嶋三義が
後の文化庁である文化財保護委員会ではなく、文部省の社会教育局の所管になるのはいかなる理由か、と質問をしています。
回答に立ったのは当の文部省社会教育局長の寺中作雄。
近代美術館の性格は近代美術、即ち明治以後の美術品を観覧に供しまして、これによつて国民の美術或いは芸術に関する教育、或いは教養を高める、要するに近代美術館によりまして、国民に芸術に親しむ機会を与え、又同時にこの近代美術館を中心にしまして、美術の国際交流というようなことも考えておる次第でありまして、文化財を保存するというような、そういう立場からこの設立を計画いたしておるのではございません。
それに対して矢嶋は博物館にだって保護だけではなく、活用といった役割もある、と反論します。
同じく山本勇造議員からも援護射撃がなされます。
これは明治のものだから社会教育局でやるのだとか、或いは古いものだから文化財でやるのだという、そういう区別は僕は立たないと思う。
全くその通りですね。
結局、文部大臣の天野貞祐は
実は私自身はそれだけに嚴密に検査してきめないで、漠然たる常識によつてこれをきめたわけであります
と白旗を上げています。
そんなんでいいのか…
高橋道男議員からも
文化財保護委員会で近代の美術品に関する事務も扱う可能性があるのであればそちらで所管すべきではないか
という追撃がなされます。
そしてもう生産性のある議論ができないから打ち切ると言いながら、
矢嶋議員から
博物館というのは保存にウエイトがある、近代美術館になるというとこれは教養向上、教育のほうにウエイトがある。従つて一は文化的であり一は社会的である
という政府側の考え方に対し、
これまでは文化財は保存に重きが置かれすぎていたが
近代においてはこれは街頭に進出しなければならない。
つまり博物館だって保存一辺倒ではなく、教育普及活動に力を入れていくべきだとはっきりと指摘を受けています。
3、哲学者のみる理想
いかがだったでしょうか。
「保存」と「活用」についての議論はまさに「活用」を声高に叫ばれる現在と変わりませんね。
むしろ国会議員側が保存に力点を置いているところからすると
70年立って逆に退化しているのではないか、とさえ思えてしまいます。
日本におけるドイツ哲学の権威であり、京都帝国大学文学部教授まで務めている天野文部大臣をして
よく精査もしないで、常識で決めた
という答弁がなされてしまうことにはただ驚きです。
吉田茂に請われて大臣になったものの、政治的な立ち回りは不得意だったのでしょうか。
東京大学を特別扱いをして、大学院のみの組織にしてしまおうとしたり、
道徳を重視した教育を目指して日本社会党や日教組から「反動的な修身教育の復活だ」と糾弾されたり
理想は高く持ちつつも現実的な政治力学の前に敗北してしまった、という印象です。
国会論議をめぐる人物像について、まだまだ面白い知見が得られそうです。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。