第154回 日本人は仇討ちが好き
1、鬼小十郎の町に
宮城県は白石市は伊達政宗の家臣、片倉小十郎が治めた町として知られています。
その白石市から発行された調査報告書に、全国的な知名度を持っていた仇討ち話について記してありました。
恥ずかしながら知らなかったのですが、すごく興味深いのでみなさんにシェアしたいと思います。
2、勧善懲悪物語
この話は地域や時代を超えて語り継がれることになり、大きくストーリーも変容しているのですが、基本となるあらすじは以下の通りです。
江戸時代は身分制度が厳しい時代。
無礼討ちと言って武士に逆らうと庶民は切られても文句を言えないような風潮があったのでしょうか。
百姓の与太郎が家族で田植えをしていると、運悪く泥が道を歩いていた武士にかかってしまった。
その武士の名は志賀団七。粗暴で皆から疎まれていたとも、与太郎の娘に横恋慕していたともされますが、
与太郎が平謝りしても許さず、斬り殺してしまいます。
ショックで妻は病を得て亡くなり、娘は路頭に迷ってしまいます。
吉原の遊女になったとか
由比正雪のもとで軍学を学んだとか
剣術道場に住み込みで鍛えたとか
いろんなバリエーションがありますが
幾星霜を経て、ついに娘2人は憎っくき父の仇と果たし合いを行い、見事に仇を討つという物語。
庶民が武士に反抗するというストーリーが受けたのか、青森から沖縄まで団七踊りという民俗芸能として残っているとのことでした。
3、物語が魅力的なら拡散していく
報告書でも触れられていますが、白石で物語の元になるような事件があったのでしょうが、歌舞伎や浄瑠璃など大衆娯楽化が進むと面白おかしく脚色されていきます。
その脚色には時代の空気というか、当時の庶民の願望が投影されています。
そのような意味ではどのような改変がなされているかを調べることは重要な意味を持ちます。
なにより、そのような訴求力がある物語がミヤギから生まれたことが面白いですね。
ただ、片倉様の治世がとくに厳しかったというわけではないと思います。(念のため)モノによっては団七の所業を知った片倉様が切腹を申し付けたのに逃亡した、という筋書きになっているものもあります。
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