第212回 永遠のテーマ 父と子
1、ランキング好きの歴史ファン
Twitterで最強の父親ランキングという話題を目にしました。
『歴史街道』という雑誌の「歴史街道脇本陣」という連載記事で
戦国における最強の父親と言えば?
というお題でアンケートを取ったとのことで、Webにもランキングが出ていました。
結果は次項に譲るとしますが、母数というか投票総数はどれくらいだったのかも気になりませんか?
2、最強の父親とは?
それでは一部転載させていただくと
1位は 徳川家康
2位は 織田信長
3位は 真田昌幸
と並んでいます。
4位以下は元記事をご覧ください。
徳川家康は言わずと知れた戦国時代の最終的な勝利者です。信長や秀吉と比べて後継者への権力移譲を成功させたところが評価されたのでしょうか。
でも父親として優れていた、というイメージは個人的にあまりありません。
長男の信康はとても優秀でしたが、織田信長に武田への内通を疑われて切腹に追い込まれていますし、
次男秀康は一時豊臣秀吉の養子になり、その後関東の名族結城家の名跡を継ぐものの、徳川宗家の後継者となることはできませんでした。
三男秀忠は関ヶ原の合戦で真田家攻略に手間取り、遅参するという致命的なミスを犯します。
四男忠吉と五男信吉は早世し、六男忠輝は最終的には75万石の大名になりますが、結局改易になり、流人として生涯を終えたのは以前noteで触れました。
晩年の子である、義直、頼宣、頼房らは御三家として将軍家を支える立場となります。
こう振り返っても親子の教育に関するエピソードが浮かばないのですが、いかがでしょうか。
詳しいフォロワーさんがいたら教えてください。
2位の織田信長も詳しくは触れませんが、子育てには無頓着だったようなイメージがありますし、3位の真田昌幸は大河ドラマの影響が強く出ているのではないでしょうか。
最強の父親というお題にはなっているものの、単なる人気投票になっている感はありますね。
3、私が考える最強の父親
じゃあお前はどうなんだ、ということですが
私が考える最強の父親は黒田孝高ですね。
秀吉の参謀として立身を遂げ、四国平定、九州征伐、小田原攻めなど主要な戦いで活躍しています。
彼の真骨頂は、関ヶ原の戦いの裏で行われた九州の戦い。
主力は息子長政が率いて不在であったにも関わらず、計略を用いて敵対する諸城を次々に落とし、鍋島直茂、立花宗茂、加藤清正を加えた軍勢で島津家と最終決戦に臨みます。
息子の長政の功績もあって関ヶ原の戦いが早期で決着してしまったのでその続きを見るところまではいきませんでした。
長政が
家康が右手を取って感謝した
と、父に報告すると、孝高は
お前の左手は何をしていたのだ
と叱責したとされています。
つまり長政が家康を刺せば、自分の天下になったのに、ということでしょうか。
出典が伝記の類なので、当時から言われていたことなのかは信憑性がありませんが、
彼ならば言いかねないと思われていたということなのでしょう。
天下人に恐れられ続けた父と、天下取りを助けた息子。
この緊張関係こそ最強の親子だと思うのですが、皆さんはどう思われますか。
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