第223回 縄文時代の抜歯風俗を連想したこと
1、歯の生え変わりからの連想
来年小学生の息子が、ちょうど乳歯が抜ける時期で、いちいち食べづらそうにしているのをなんとなく見ていて
ふと思いました。
縄文人の抜歯風俗について
縄文時代も幼児から少年期への過渡期に抜歯していたのであれば
少年期から青年期への転換期や
結婚を機に抜歯するということも
生理的な現象を人工的に再現する、ということでは違和感がないのではなかったかと。
妙に納得してしまいました。
2、抜歯について事典を引いてみた
抜歯について少し説明します。
久しぶりに
田中琢・佐原真編2002『日本考古学事典』
を開いて「抜歯」の項目を引いてみました。
健康な歯の中の特定の歯を特定の理由で抜去する風習をいう。
とあります。古くは一万年前から20世紀まで残っており、成年した印や部族の目印になっているところもあるそうです。
日本の縄文時代でも北海道から沖縄まで広く見られ、どの歯を抜くかの型が地域や時代によって異なっています。
面白いのは6世紀に造られたとみられる大阪府の大藪古墳では黒く塗った歯が出土しており、
抜歯がなくなる代わりにお歯黒が登場したのではないかという説もあるそうです。
3、一万年前と20年前の当たり前
血を見るのも怖い私には、到底できる気がしません。
そんな習俗がある時代や地域に生まれなくてほんとうによかったと思います。
抜歯の変形で歯をフォークのように削っている例も知られており、麻酔もろくになかった時代に、なんてことを、を身の毛もよだつ思いです。
当時の人にとってはそれが当たり前の風習だったのでしょう。
時代によって変わる当たり前。
直近の例で言えば
急な連絡をしたくなった時に備えてテレホンカードを持ち、公衆電話の位置を把握しておく。
初めて行く場所については事前に地図を確認しておく。
そんな当たり前もあっという間に古くなり、スマートフォンの便利さに頼っていると
先日のような大規模な通信障害があると右往左往してしまうんですよね。
読者の皆さんにとって少し前まで当たり前だったこと、是非コメントで教えてください。
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