第5回情報格差について
1、導入
NewsPickで話題だった「情報格差」について少し思うところがあるので今日はそれについてつらつら書いてみようと思います。
阿部 幸大さんの『「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由』
という記事。
2、記事の内容
詳細は記事自体を見ていただければと思いますが、私は
・インターネット全盛の時代でも、十分に使いこなせていない、検索ワードが分からないという理由で情報にアクセスできない層がいる。
・大学進学ということを遠い世界のように感じる。近くにロールモデルがいないと、大学生になった姿を想像もできない。
・結局、想像できない世界は理解できないし、実現することもできない。
というようなことだったと理解しました。
2、共感
前節でまとめた理解で正しければ、それは全く同意できます。
人間は実体験したこと、身近に感じることは理解できても、思いもよらないこと、気づかないことはそもそも想像すら働かないんですよね。
多様化社会においても、LGBTや民族、宗教の差異を超えて良き隣人として理解し合うためにはまず知ることから始まります。
知識欲がある人はいいんですよ。自分が面白そうと思うことに貪欲ですから。知識を得ることで、理解できる社会が広がる悦楽を知っていますから。
私も多少の我慢や苦痛も経験や知識となると思えば乗り越えられます。
逆に自分の知っている世界にこもっているような人を見るともどかしくて。こんなに世界は面白いのに、そんなところにいていいの?人生損してない?と余計なお世話をしたくなる。
情報に格差がなくなれば、誰でもアクセスできるようになれば、という思いは全く共感できます。
3、違和感
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でも筆者の書き振りでは
「まずこの問題を知ってほしい」
というところで止まっている印象を受けるのです。
釧路に大学で学ぶことを知らない若人がいるなら、お前が教えに行けよ。
一人だと不安なら仲間を募れよ。
何か事情があって自分でできないなら、他人にやらせる仕組みを考えろよ。
なんだか無性に腹が立つ。
4、振り返って自分は
想像できないことは理解できない。
縄文時代の生活も出土遺物の研究から想像するヒントが生まれることで
同じ時間軸にいる太古の先祖のことが理解できる。
10000年前の人の考え方を知ろうとする努力は
今現在、習慣もルーツも異なる隣人を理解するときにきっと役に立つ。
だから私は歴史を研究し、自分が理解したことを人に伝えたいと思うのだ。
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