第35回テクノロジーと社会
1、導入
#Voicy で #サウザー さんの配信を聴いて思わず想いが溢れてしまいました。
導入は今話題の『10年後の仕事図鑑』からAIは仕事を奪うのかという話題から
『サピエンス全史』にも触れながら「テクノロジーは社会を変えるのか」という問題を提起していました。
少し長文になりますが、考察してみようかと思います。
2、ざっくり社会の変化を整理してみた
旧石器時代から縄文時代の変化では
「土器の使用」
が最も大きなテクノロジー変化だと思います。
それまで、単純に「焼く」しかなかったところに「蒸す」「煮る」ことができるようになり、調理の幅が広がり、摂取できる栄養価が向上したことでしょう。
貯蔵が容易になった反面、流動性の高かった生活が、荷物が多くなったことで定住性が高まったことも想定できます。
しかしながら社会の変化はかなり緩やかだったと考えられます。
続く縄文時代と弥生時代の変化はもっと漸進的です。
狩猟採集生活が米を中心とする農耕生活に一気に変わったというのは既に古いイメージです。
実際は縄文時代の後半には選択的な自然環境、例えば木材としても食料としても有益な栗の木が密集しているような林を意図的に作り出すことが行われていることが明らかになっています。
豆や芋などもある程度栽培していたことが徐々にわかってきましたので
縄文人が農耕を知らなかったわけではなく、弥生式の水田農耕を選択的に受け入れていなかったことになります。
このあたりのことは冒頭で述べた『サピエンス全史』でも触れられていましたが
集住的な農耕社会になったために、人口は増えたが、その分疫病は蔓延し、リスク回避の移動生活もできなくなり、自由は制限される方向に社会は進んできた。
こちらもテクノロジーの変化がきっかけではありますが社会は徐々に変わっていきました。
続く変化はやはり中世。サウザーさんも触れていましたが鉄製農具の大量生産や肥料の普及で生産性が高まり、生産に直接関わらない階級、僧侶や武士、歌詠みなどが増加しても支えられる社会になりました。
文化というその日暮らしを送っている階級には縁遠いものが花開く時代。
また別の機会に述べますが「東山文化」は日本文化の到達点だと思います。
その後の江戸時代も基本的な社会構造は変わっていないと思います。
次の変革の時代は明治維新でしょうか。社会というところを大掴みでみると日本という国には珍しく中央集権制が強いということが特筆すべきところでしょうか。
その社会を生み出したテクノロジーは何か。
蒸気機関と電気でしょう。
地方と中央の情報伝達のスピードを加速していったことで社会が支えられたのでしょう。
そして今、インターネット、SNSで「個人」が問われる時代になりました。
後の時代から見たら現代はどう評価されるのでしょうか。
3、現時点での見通し
サウザーさんはテクノロジーで社会が突然変わることはないと言います。
前節でいま振り返ってみると
テクノロジーは社会を変える原動力にはなっていますが、
変化には時間がかかっているように見えます。
ただ、その時間は短くなってきます。
①土器の誕生→栄養状態の向上
②水田稲作の導入→土地に結びついた階級社会
③農耕技術の向上→文化の開花
④蒸気機関、電気の発明→中央集権
⑤インターネットとSNSによる新たな空間の創出→個人の時代
荒削りな整理ですが並べて見ると変化のスピードが速くなっているのは明らかです。
振り落とされないように、という焦燥感が止まりません。
このnoteはもう少し加筆していくつもりです。