第1422回 分析結果が面白い
1、学会参加記録
今回も引き続き、日本考古学協会宮城大会の参加記をお送りしていきます。
2、縄文と近世
まずは午前中はこちら。
第2分科会「東北先史時代の越境と交流」
6本の報告を拝聴しましたが、お目当ては
松崎哲也・山田凛太郎「東北地方太平洋沿岸域における縄文時代の動物資源利用」
東北地方の沿岸部、とりわけ三陸地域では東日本大震災からの復興に伴って数多くの発掘調査が行われ、その成果は膨大なものになっています。
10年以上経過してようやく情報が出揃って研究に活用されていくようになります。
今回は縄文時代の、特に動物資源、つまりは食物として、もしくは骨や角を道具の材料として使っていた実態に迫ろうとするものです。
小さな骨もできるだけ採取するように、遺跡の土を6mmメッシュのふるいにかけて、分類されていきました。
簡単に結論だけ言うと、
縄文時代の前期から中期にかけては外洋性大型回遊魚であるマグロ・カツオの骨が多く出土しますが、中期後半からは激減していきます。
一方で、大型の魚を捕るために使われたであろう、鹿のツノを材料とした銛先などは縄文時代の後半の方が数も多いし、工夫を凝らしたものになっている、という事実も明らかになります。
後半の情報だけ、道具の側から見れば、縄文時代の後半の方がマグロを捕っていそうですが、実際に同じ時期に食べた後の骨が出土する数が少ないんです。
これをどう解釈するか。
まずは、
①気候の寒冷化に伴ってマグロやカツオの生息数が少なくなったために、逆に貴重な資源を効率的に得られるよう、道具にこだわった
と考えるか
②マグロはすでに主要な漁獲種ではなくなっていたが、それ以前の伝統で大型魚用の銛を持つことがステータスになっていた。
考古学の世界でよく「威信財」というやつですね。
著者らはこの前半期と後半期の間を埋めるような時期の
良好な遺跡発掘調査成果を分析することが求められる、と結んでいました。
そして午後はこちら。
第4分科会「宮城県を通して考えるアジア、世界との交流の考古学」
こちらも6件の報告がありましたが、取り上げるのは
後藤晃一「遺物から見たキリスト教布教」
報告者は戦国大名大友氏の本拠、豊後府内の発掘調査に長らく関わってこられた方で、
キリシタン大名のお膝元ならではの遺物「メダイ」の分析を続けてこられたそうです。
島津氏の侵攻で城下町が火災にあっているので
出土遺物年代の下限が1587年と明確なことも重要です。
蛍光X線分析や同位体比分析といった先端技術を用いてメダイの成分を分析したところ、
タイのソントー鉱山の鉛であることが判明したとのこと。
さらには、産地と同じ形のインゴットも城下町で出土しているそうです。
他の資料の分析結果も含め、1590年以降に日本以外のアジア製のメダイが増えていくという結論を得たということでした。
3、次の展開は
いかがだったでしょうか。
道具がいっぱいあるからといって、漁が盛んだったと単純に考えることはできない、ということを改めて考えさせられましたね。
また九州地方の例で、積極的に科学分析を用いて金属製品、もしくは鉱物資源の流入の状況がかなり明らかになってきたようです。
翻って我が東北地方はどうなのか。
その後気になって、宮城県内の遺跡で出土した鉛製品、
鉄砲玉がどれくらいあるのかざっと見てみましたが
10点くらいでしょうか。
実は我が町の遺跡からも出土してるんです。
ただ調査したのは宮城県なので手元に資料はないのですが。
ある程度の分析資料が集まるのであればやってみるのも面白いかもしれませんね。
分析する機械はもちろん、どこかに委託する研究費もない現状では
すぐすぐ挑戦はできませんが、作戦は練ってみたいと思います。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。