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男のために、設計された社会で、『男も大変』と言っちゃう傲慢さ

男のために、設計された社会で、『男も大変』とか言っちゃう傲慢さを知る。

というのは、最近読んでいた、『存在しない女たち』という本の帯についていた、武田砂鉄さんのコメント。

私は、その言葉に、首がもげそうなくらい頷いた。

この本は、公衆トイレから、最新の家電、オフィス、医療税金、災害現場など、公平に見える場所に隠された男女格差にで数々のデータを用いて迫るというもの。


人間とは男のことで、女は男を基準に規定され、区別されるが、女は男の基準にはならない。男は主体であり、絶対者である。つまり、女性は他者なのだ。 シモーヌ・ド・ボーヴォワール


この社会は、男性を基準に設計されている。

man=人間というのは、たぶん違って、その人間に女性は含まれていない。

man=男性なのだ。

だから、manを基準に世界が構築される。

なぜそうなるか、理由は明白で重大な決定や、変化のための話し合いや決定する場面に女性は少ないからだ。

そして、男性である決定権を持つ人たちは、女性のことを考慮に入れることを忘れる。スタンダードは男性であるからだ。自分は、不便に感じたことがない。だから、その制度に微塵も疑問を抱かない。ただそれだけなのだ。

だから、ビジネスの場だと、妊娠する性であり、家庭や社会での無償ケア労働を暗黙のうちに強いられている女性のことは何も考えず、スタンダードな男性にあわせた制度を採用する。

昇進や高く評価されるための長い勤務時間、積極的な仕事に対する姿勢そして、「飲み二ケーション」で自分のことを売り込めるのは、社会的に無償ケア労働を免除されている男性ばかりではないだろうか。

もし、男性に生理があったなら…というのはよく言われる例えだ。

twitterや、現実の友人の答えは、面白いことに一通りに集約される。

『そうだなあ、多分、一か月のうち、一週間は休みになるよ。それで、痛みや仕組みに対する研究がすごく進んで快適になっている』

女性の体や、月経に対する研究があまり進んでいないことは明らかである。

また、私が最近面白いと思ったのは、【男性と女性が性行為をした場合、どちらが妊娠するかはわからなくて、妊娠する方が決まるのは偶然だとしたら】という仮定である。

今、現在、性行為を行って、妊娠するのは絶対に女性である。そして、人生において大きな変化が訪れるのも、あっという間に体が大きく変化するのも女性だ。

体の変化にあらがえず、強制的に変化に直面することを余儀なくされる可能性が、男女ともにフィフティ・フィフティなのであれば、もっと避妊に対する研究も、認識もよいものになるであろう。

なぜ、避妊に対するしっかりした知識が少ないのか、研究が進んでいないのか、なぜ日本では産婦人科医会が、緊急避妊薬をドラックストアで販売することに反対するのか。欧米など90か国以上で既に処方箋なしで薬局で買えるようになっている。

例えばイギリスでは、未成年で、産婦人科に相談に来たものに対しては無償で提供しているし、ほかの国でもドラックストアで比較的簡単に、安価に入手できるのに、一方日本では産婦人科などの医師の診察が必要なうえ、、1-2万円と、とても高価なのだ。

この、緊急避妊薬というのは、性暴力や避妊の失敗で望まない妊娠の可能性がある場合、性交から72時間にないに緊急避妊薬を服用すると高い確率で妊娠を避けることができる。そして、それは早ければ早いほど、効果は高いという。


もし、男性も女性と同じように、妊娠するのが50パーセントの確率あったらどうだろうか。

女性用の低用量ピルの認可に10年かかったが、性欲を増進させるバイアグラを即、認可した日本であれば、緊急避妊薬など、コンビニで買えるくらいになっているであろう。

それほどまでに、男性に優しいように作られた社会なのだ。だからこそ、『男もつらい』と言われると私は無性に腹が立ってしまう。

男もつらいというのは、男性は強くあるべきだという男性同士の抑圧で、女性は弱くあるべきだという、女性差別に起因する女性差別によるコストだ。

私自身も、特権を持っていると感じるようになった。

私は多くの場合、マジョリティに属している。

私がやりたいといったことを、両親に反対されたことはない。

勉強は女には必要ないと言われたこともない。

性別に関係なく、勉強をし、しっかり自分で生きていけるように、教育されてきた。

大学進学のために、上京することにも大きな反対はなかった。

母は、地元の大学に行くことを勧めたが、父が背中を押してくれた。

与えられた当たり前を微塵も疑うことなく育ってきた。しかし、私は確実に恵まれているのだ。

教育に関係することは、反対されず、お金を出してもらった。

確実に社会的資本の恩恵を受けて育っている。

だからこそ、これまで気づかなかった。

男性も同じである。多くの場面でマジョリティに属すると、ほかのことは見えない。微塵も疑問に思わない。だからこそ、自分で学んでいかなくてはならない。

学んでいく途中で、自分の中に内在する差別意識、偏見に反吐が出そうなときもある。

【識字憂患】という中国北宋代の政治家で文豪の蘇賦の言葉がある。

人は文字を学び、書物に触れ、新しい概念を知ることで悩み苦しむことが増えるから無知でいたほうが楽だという意味だ。

私は、無知でいたほうがいいとは思わない。できるだけ知りたい。

どれだけ自分がしんどくなったとしても、現実から目をそらしたくない。

それが誠実だと思うから。

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