ギリシア神話のように、とはいうけども の巻
聖闘士星矢とは何か、というと「ギリシア神話をモチーフにした現代伝奇バトル漫画」というのが最大公約数的な説明になると思います。
実際、ギリシア神話への興味の入口が星矢だったという人は少なくないでしょう。小学生のツナ缶ちゃんもそうでした。星座と神話の本を何冊か読んでみて、なるほど本家はこういうディテールや広がりを持っているのか、星矢が扱っているのはごくごく大枠の部分だけで、なんなら神々のキャラクター性とかはガン無視なんだな…と当時はっきり言語化したわけではありませんが、大まかに理解したわけです。
ギリシア神話の神々、ゼウスを筆頭に本当にどいつも生臭いというか、色恋やらセコい諍いに明け暮れていて、良く言えば人間味に満ちている、悪く言えばたいへん下世話でゴチャゴチャしてるんですよね。
ひるがえって星矢を見てみると、原典のそうした細部は丸々オミットし、神というのを非常に超然とした存在にアレンジしています。ゼウス、ポセイドン、ハーデスから見たアテナは本来、娘や姪にあたるわけですが、そんな関係はおくびにも出さず、彼らはシンプルに天界と海界と冥界から地上を狙う侵略者として語られる。のちにアポロンやアルテミスが登場しアテナとの血縁が明言された際、えっそのへんの話、昔はなんとなくボカしていたはずでは…?と思ってしまったほどです(フォェボス・アベルの件はとりあえずおいとこう)(フォェとは)。
少年向けバトル漫画に不要な諸要素を超冷徹に切り捨てたこのアレンジが、結果としてどれだけ優れていたか、というのは今さら説明の必要もないと思いますが、さてここで、本家はともかくとしてスピンオフ作品において作品世界を拡張しようとした際に、我々はあらためて考えなくてはいけないわけです。「聖闘士星矢の背景とされている『ギリシア神話』は、実在するギリシア神話とは似て非なる何かである」ということ、そして「じゃあ原作で描かれなかった部分では、何がどこまで原典と同じで、何がどこまで違うのか」ということを。
要するに、ギリシア神話から新たにネタを引っ張ってくる際、星矢らしくない要素を連れてきてしまうリスクを精査しなくてはならない…は言い過ぎか、精査するに越したことはない、という話です。
『海皇再起』で言えば、ネメシスという女神は本来ヒュプノスやタナトス、ケールとは兄弟関係ですし、ゼウスとの間に双子座のディオスクロイを産んだという説もあったりしますが、それらは置いといて、単に神罰と義憤の化身という性格と外見だけを採用しました。
あとこれは余談ですが、『海皇再起の成り立ち』の記事で書いた初期案に登場する海皇妃アンフィトリテ、これは名前もカッコいいしイルカに乗ったビジュアルも魅力的で以前から好きな神様だったので、ぜひ敵にしたいな、と思ったのですが、さりとてポセイドンとの夫婦関係というのを神話どおりにやってしまうと前述のとおり人間臭さが勝ってしまい、全然星矢らしくない。そこで彼女のもう一つの性格――元々はこちらが海の女王であり、ポセイドンは本来大地の神であったが彼女との婚姻によって海の支配権を得た、という異説に着目しました。妻とか妃ではなく、アテナに敗れたポセイドンに代わり海の支配者に返り咲こうとする古の女王、という形にアレンジすればカッコいいんじゃないかな、というわけです。そんなこんなでこのアンフィトリテの性格や口調は、一部ネメシスにも引き継がれていたりするのじゃ。
英魂士たちについては設定上、どうしても原典の伝承に踏みこみ気味になるのですが、それでもベレロポーンは「ペガサスから落ちて大怪我したイキリ」、テレプシコラは「μ's、じゃないミューズのメンバー」、カドモスは「竜退治したらアレスの呪いで子孫が死にまくった人」みたいな概要にとどめ、あまり細かい話はしないよう気をつけています。
…とまあ、このへんも結局、「海闘士はじめ星矢の敵キャラクターが原作でいかに淡白に描写されており、しかしそれゆえにカッコいいか」という以前書いた話の変奏でしかないわけで、とにかくツナ缶ちゃんが現状考える星矢らしさの本質とは「多くを語らない引き算の美学」であり、だがそこを上質にエミュレートするのはなんて難しいんだ今だに全然モノに出来てねえ!という、なんか泣きごと言ってんな、というのを今日はひとまずお持ち帰りいただければよいかな、と思います。なんだそれ、おわり。