いい加減で良い加減
バガヴァッド・ギーター本読み会42回目
この日は伊勢に行っていたのでお休みしていました。こんな時は、ひとり読んで追いつきます。
私なりに感じたことを書き綴っています。共感いただけたらとっても嬉しいです♪
今回は六章15〜20節です。
第六章 静慮による交流
1.直観、叡智、超能力は本来の才能
チャクラは車輪、輪を意味し、エネルギーの渦として、目に見えない微細な身体の特定の場所にあるとされています。
意識のレベルや霊的な気づきやテーマとして象徴的にも語られています。
アージナー・チャクラは第3の目という表現で聞かれたことがあるかも?
2枚の花弁をもつシルバーブルーの蓮の花として象徴され、エネルギーの3つの川の合流する場所「トリヴェニ」と言われます。
象徴は叡智、直観、深い瞑想、超能力。
身体としては、視床下部、脳下垂体、松果体と、身体の機能の「命令」に関するホルモン分泌の場所。
ホルモン内分泌系は、免疫力や自律神経の働きに深く関わり、視床下部の刺激が、脳下垂体へ、脳下垂体から各内分泌臓器へ、そしてホルモンが分泌され、身体を整える。
それには独自の価値観に基づく、自分の考える常識、そして好き嫌いによって感情が揺れ、ホルモンや自律神経の司令塔である視床下部に影響します。
と、いうことは…、第3の目が開眼し、無智さが払われるとは、
自分の中でこれが当たり前、これが良いこれは悪いといった価値観や物の見方が崩壊し、全てが平等に見える。
ある意味で人生ゲームの攻略の答えがわかってしまった!ような感じではないでしょうか。なので、自己コントロールは無用。なぜならありのまますべてが受け入れ、そのままで幸せなのだから無努力。
人生で苦悩するのは、人生ゲームにどっぷり入っている。
直観、叡智、超能力は失われていてこそ、顕在意識は嫌々でも人生ゲームをよりどっぷり楽しむためには必要だった?
私たちの本来の天性とは直観、叡智、超能力を持っているものといえるのだと思います。
2.いい加減が良い加減
ヨガの失敗に、〇〇過ぎることがあります。食べ過ぎ、やり過ぎ、しゃべり過ぎ。
ハタ・ヨーガ・プラディピカの節食(ミタハラ)には、胃の四分の三をを水分と食物で満たし、四分の1は空にしておくこと。
「適度な」というところで留めておけるか。一生懸命過ぎて完璧主義になっていませんか?
私は好きなものには没頭しがちのところがあるので、気をつけたいなぁと思います。
いい加減は良い加減でちょうど良い。そんな風に、いつも一生懸命に尽くす人ほど、いい加減がちょうど良い加減だと思います。
3.何も考えのない時間
パタンジャリ大師のヨーガ・スートラ1章2節では、ヨガについて「ヨーガハ チッタ ヴルッティ ニローダハ」、ヨガとは心を静かに収めることです。と、言われています。
それは思考が止むこと。
何も考えのない状態。
なぜその状態が良いのか?
それは、悩み苦しみが揺れ動く考えのなかにあるから。
内なる静けさの中にあり、なにもなくても穏やかで幸せな状態を目指します。
そのためには、思考が止むこと。あなたは1日の中で心の中のおしゃべりがない時間はありますか?
高次の自己は純粋な知性ともいえますし、ハイヤーセルフともいえます。
限りなく真我に近い状態であるので、そのままで至福と満足の状態。
きっと誰もが体験していると思います。何もなくても穏やかで湧き上がる幸せ。思い出してみてください。
心の動きを止めてもあなたは、いなくなりません。
ぼーっとして生きるのもいい。
そんな時のほうが直観が湧き上がり、本来の天性の才能を取り戻すことができるかも!😊
由紀子