本質で生きる
バガヴァッド・ギーター第7回目本読み会
zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。
本は“科学で解くバガヴァッド・ギーター スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 、岡本直 訳、木村慧心 監修”を使っています。
今現在は32回目が終わり、第四章の途中です。インスタに記していた過去記録を元に振り返っています^ ^
第二章 サーンキヤ・ヨーガ
五大元素(地水火風空)から
受肉し生まれ、
また地水火風空へと帰る。
たとえば、木は木材になり、加工されてイスになり、イスは壊れて薪になり、薪は燃やされ炭や煙となって、土に返り空に上ってまた雨となり地上へ。。。
10歳の時に父が亡くなった時は、目の前からいなくなって寂しかった。。。涙
でもヨガの知恵に出会い、なんとなくこういうことじゃないかな、と思えました。
あゝ父はいなくなってないんだな、自然の中に溶け込み、いつもいるんだな。。。
と、ふと思い出す時にそう思います。
《わかる》というのは、
証明できなくても、
腹で感じて、腑に落ちて、
《わかる》んです。
真我は生まれず死なず
祝詞教室で、私の産土神を教えていただきました。
この世に肉体と魂を結びつけて、送り出してくれた存在を産土神と教えていただきました。
私の産土神は方違神社の三筒男大神様の中の中筒男神でした。
知らない神さまと思いましたが、幼少期に過ごした記憶から、住吉大社の思い出がよみがえりました。
住吉大社の神様も三筒男大神様だと分かったからです。
お守りいただいてたんだ!
と腑に落ちた《わかる》考えです。
真我は不生不滅。
不生不滅の真の我を感じ《わかる》と、安心と幸せが溢れました。
本質で生きる
私の魂を五大元素(地水火風空)へと結び受肉させてくれた存在がある。
私の魂は生まれる前からあり、また肉体は五大元素へと戻って、魂はまた新たな肉体を獲得することもできる。
無智さとは、私とは肉体であるという考えと価値観のこと。
ふつうはそうだと思います。
しかし、それは本当なのだろうか?
見えない心が動かす見える肉体。
「心が動かされた」と、言いますね。
見えない心を動かす、さらに見えない微細なものがあっても不思議ではないと思います。
私とは意識である。
それを忘れて生きることで、さまざまな苦楽の体験をしているのだと思います。
本質で生きるとは、
内にも外にも同じものを見る、
統合された意識なのですね。
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