ただ輝いて生きる
バガヴァッド・ギーター本読み会18回目
zoomを使って、毎週火曜日の8:30〜9:00に行っています。
18回目は、三章16節〜21節でした。
第1回が始まったのは2023年9/14でした。
現在は37回目が終わり、五章の行為の放棄の途中です。
ここには私が印象的だったところを書き残しています。共感いただけたらとっても嬉しいです♪
第三章 無私の行為
1.心の重いも軽いも自分次第
「〇〇でなければならないのである」
「すべきである」
このような訳の表現が多いから、五次元の軽い話も三次元の重い波動と、本読み会で感じられました。
この本の表現や訳から古い本だなぁー(苦笑)と、読むのをやめるのは、
「ちょっと待ったー!」←古っ!
この本を書かれたスワミ・ヴィラジェジュワラ大師は、クリシュナ神の高次元の話を三次元世界におとして、高次元に繋がり書かれたのでは、と、私は思います。
初版発行が1998年なので、三次元世界の時代だったということや、1917年生まれの岡太直さんの表現もあると思います。
何かその表現に敏感に反応する私が、義務や犠牲や我慢から解放されたい!と、何かがあったのかもしれません。汗
何事も“今”の自分が理解できる程度にしか理解できないと、自覚しておこうと思います。
言葉の表現に反応する自分の内側を観ないと、伝えられている本質を見失うのではないかな?と、自分にイエローカードです。笑
2.エゴの反乱か!?
「私が」「私の」というものから解放されたら、行為をしていてもそれは自分のカルマとはならない。だから、得られるものはなく、そして為すべきこともなくなるのでしょう。
以前、車の運転中に、私の本当は意識なんだよなぁ~って思っていたら、視界が狭まってきて白ーくなってきました!とっさに「エゴ!エゴ!エゴ!」とおおきな声でエゴを呼びました。笑
すると、視界が広がりクリアになりました。エゴの反乱でしょうか?
この時に一つ悟ったんてすよね。
エゴは無くならない。邪魔者、悪者扱いしてはいけない。エゴにもエゴなりの頑張りがあると、認めて丁寧に付き合ってあげよう。と、思いました。
3.完全解放されたら食物は不要
ここ響きました。
最近、不食の方のことを耳にすることが増えました。
以前は食べないと元気になれないという思い込みの中にあったように思います。
よく心の栄養といいますが、それは生命エネルギーのことだと思います。感動や幸せを感じている時は、あまり食べなくても満たされている感覚。
反対に食べ過ぎる、甘いものが欲しい、間食がやめられない時は、心の空虚感を埋めるためかも知れません。
ヨガの呼吸法のことをプラーナヤーマと言います。生命エネルギーをコントロールすることが、ヨガの呼吸法です。
4.ただ輝いていれば良い
ジャナカ王はラーマヤナーの主人公のシーターの義父である。と、書かれていて、知らなかった…そうなのね。
王としての務めを無私の行為(カルマヨガ)で最高の境地を目指したジャナカ王。
大きな権力や多くの財をもつ人ほど、なんでも自由にできそうなの自制が必要ですよね。
給料をもらう社員より、社長の方が権力がある分、無私の行為のカルマヨガができるかで、会社の発展にも影響が大きいと思われます。
やっぱり…義務、犠牲、我慢、良い子、良い人は卒業です。笑
利己的であることと、利他的であること。後者であることが自然であれば良いですが、義務、犠牲、我慢で利他的行動は、内心にはリターンの期待があるはず。
こんなに頑張っているのに、やってあげたのに、見返りへの期待は嫉妬や渇望に繋がるかと…
自分が好きなこと得意なことを一生懸命やることが、誰かの役にたつと思います。
まず自分が満たされて、そして相手を満たしていく。
利他という言葉にとらわれないで、自分をキラキラと輝かせることが、あの人と一緒にいると幸せだなぁ、楽しいなぁ、安心するなあ、あの人みたいにやってみようかな、と、誰かを幸せにしたり勇気づけたりするのだと思ってます。
つまり、至高の境地を目指して、ただひたすらに自分に集中していくだけで良いと思います。
由紀子
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