Clubhouseがこわい
決して饅頭怖い的なアレではなく、純粋に怖い。もしも招待が届いたらどうしようと意味もなく震える夜がある。仮に招待が届いたとして、それを断ったことで招待いただいた人とギスギスしたらどうしようと思うと、これまた怖い。幸いにも2021年2月現在、招待が届いていないので身近にClubhouseユーザーがいないということなのだろうけれど、いずれAndroid版がリリースされ利用者が爆発的に増えるとすれば、いずれ魔の手がこちらに伸びることもあるだろう。こわい。クラブハウスがこわい。
そもそもClubhouseって何ぞやという人もいらっしゃるだろうが、ぶっちゃけ「わからん」としかお答えできない。要は「触ったら壊れそうで怖い」とパソコンを扱うことを避け続けた結果何の仕事も割り振られなくなった中年社員のように、得体の知れないものにビビっているだけなのだ。なので、概要は詳しいメディアをそのまま引用させていただく。
Clubhouseの構造はシンプルだ。アプリを起動すると、いろいろなテーマを掲げる「room」が並んでいて、いずれかに参加すれば「audience」として、壇上で話している主催者の「moderator」や、話し手である「speaker」の会話を聞くことができる。挙手で意思表示ができ、moderatorに招待されれば、speakerとなって壇上に上がることも可能。参加者=speakerの雑談roomもあれば、著名人の会話を数千人の人が聞いている、まるでトークイベントのようなroomもあるといった具合だ。
なるほど、主催者となるアカウントは自分のラジオ番組を持つことができ、フォロワーはリスナーとしてその番組の聴衆に徹することも、指名されれば壇上に上がり発言することも可能、という新しいSNSの形らしい。外出自粛が叫ばれる現在、他社と話す行為に飢えた人々にとってこの上なくマッチした仕組みだし、自分の中に社会問題や政治について語るチャンネルはないが「アイドルマスター シャイニーカラーズに登場するアイドル・三峰結華のソロ曲『プラスチック・アンブレラ』の歌詞に対するお気持ち」「全人類がHUGっと!プリキュアを観るべき理由」について話してくれと言われれば、2時間3時間は余裕で溶かす自信がある。かれこれnoteを始めて3年が経過しており、人一倍「何かを発信したい欲」があることも自覚している。そういった意味で、自分が会話の主導権を握り、その上スピーカーを選ぶ権利が与えられるという万能感は、正直なところかなり惹かれるものがある。間違いなくハマるとわかっているからこそ、Clubhouseがこわい。
ところが、Clubhouseは「本名・顔出しが原則」という恐ろしいルールが存在するのだが、それを聞いた瞬間からClubhouseへの好感度は「こわい」から「無理」に急降下してしまう。SNS全盛期に幼少期を過ごす若者諸氏には理解できないだろうが、我々の世代は「個人情報をアップしようものなら2ちゃんねるという怖いインターネットに拡散され悪用される」と刷り込まれ、そうした失敗に怯えながらネットリテラシーを鍛えた世代。その観点でいえばClubhouseに参加しようものなら顔と本名と肉声がネットの海に放流されることとなり、迂闊な発言をしようものならインターネットのおもちゃにされ職を失うことも考えられる。そのリスクを背負ってでも発信したいことがあるかと問われれば「無」と返す他ない。
このようにClubhouseは自分が聞きたい話題・話したい話題を自由に選択・発信することができ、交流の輪を広げることもできるSNSと言える。その一方で「自分にとって都合の良い意見しか取り入れなくなる」「生身の顔と声と本名がコンテンツになるリスク」の2点が、ハチャメチャに恐ろしい。解釈の幅が狭まり他の意見に寛容になれなくなったら、オタクとしては多大な喪失である。さらに私は、生みの親から「見ていて気持ちのいい顔ではない」と言われ、声は声で活舌が悪く声質が低いためマイクに拾われにくいという特性があり、会社のweb会議では「聞き取りにくいからお前だけチャットで参加しろ」と指示されては夜な夜な枕を涙で濡らしているのだ。そんな自分が本名と顔を晒した上で好きに喋っていいよ!と言われてもやっぱり「無」になってしまう。うってつけのようでいて実は一切向いていないSNS、それがClubhouseと私の距離感になってしまった。
なんでSNSのことを調べて自分のコンプレックスに向き合い、落ち込む羽目になったのかまるで意味がわからんが、結局のところ私がClubhouseユーザーになることは恐らくない、ということだ。聴き専、古のネット用語でいうところの「ROM専」的な使い方もできるだろうが、いつでも発信側になれる余地を保有すると歯止めが利かなくなってしまうのが目に見えている。そうなると必然、ハンドルネームで発信できるTwitterやnoteの居心地の良さを再確認し、より離れがたくなってしまった次第である。肉声よりもキーボードで想いを紡ぐ人気ライター(笑)として、今後ともがんばルビィ。よろしくお願いします。