「インクが乾かないと領収書が出せません」
いま一番憎いものと言えば、汚職を繰り返す政治家よりも有名人の結婚相手をしつこく付け回す輩よりも、なんといっても「インボイス」である。なんなんだコイツ。言葉の響きは嫌いではないのに、中身を知るとグツグツと怒りが煮えたぎってくる。
幸いなことに個人事業主ではないので、僕自身は事業を畳むといった局面に追い詰められてはいないが、一会社員としても面倒ばっかりなのである。働き方改革を推し進める一方で、インボイスの対応で残業が増えたことによる「何なんだ感」は、今なお納得のいく落としどころが見つけられないでいる。
では、具体的に何が嫌なのか。例えば、請求書フォーマットの刷新。数年前に軽減税率が導入された際、二通りの税率に対応する請求書フォーマットを用意する必要にかられ、社内システムやら手持ちのexcelやら、請求書と名の付くものを片っ端から修正する羽目になった。ただ、大変ではあったものの、部署や担当者ごとに請求書のフォーマットがバラバラというのが不健全ではあったので、統一できたことは意義があった。
その成果物が、インボイスによって使えなくなった。「税率ごとの適格な消費税額が判別できない」という、無慈悲な言葉によって。結局、またしてもフォーマットは改められた。数年前に作ったものとはまったく違う顔をした別人に。
もう一つ悩ましいのが、領収書だ。これまでは宛名と金額と但し書き、収入印紙の有無だけ気を付ければよかったのに、今では8%/10%ごとの購入金額と消費税額を記載しなければならず、面倒極まりないのである。領収書を書くということはその間お客様をお待たせしているのに他ならないのに、その待ち時間が否応なく増えてしまう。書くべきことが増えて、複雑になってしまったばっかりに。
お客様を待たせてはならぬと焦るが、インボイス適用後の領収書の書き方が頭に入り切っていなかったり、単に不足があったりして、書き直したことが何度もあった。自分の頭の悪さに辟易するけれど、そもそもの原因はお上のお達しにより始まった、この政策である。手間だけかかって、売上には直結しない。守るべきルールなのに、どうしても好印象を抱けない。
領収書の記載事項が増えると、困ったことに余白が足りないのだ。社名や押印欄、金額記入欄などですでにパンパンの領収書に、税ごとの金額だとか消費税額だとか、無駄に長ったらしい登録番号を書く欄が、どうしても捻出できない。そもそも、そんなものを一回一回書いていたら時間のロスが大きすぎる。故に領収書のフォーマットそのものを改定しなければならないが、本社に詰め寄るとその予定はないとぬかしおる。おのれ現場の苦労を知らぬ者どもめ、怒りの矛先として国税庁の隣に「東京本社」が追加されてゆく。俺がゴジラなら率先して破壊するだろう。
であるのならと、この度ゴム印を発注して、対応することにした。「8%税込」「10%税込」「登録番号:T〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇」と押印し、その隣に金額を明記すればインボイス対応領収書の完成だ。多少の金額を払えど、領収書発行時の手間とミスを減らせるのなら結果として効率化に繋がる。こういう所にお金をケチるからダメなのだと、気が大きくなってしまう。いやぁ、本当に慧眼である。
して、先日、発注しておいたゴム印が届いた。残念ながら納品日は出張で外出をしており本物を見て触れる機会は翌日となったが、ナイスなアイデアに事務職員からの絶賛の声がひっきりなしに挙がっているはずだ。出張土産を片手に、翌朝はルンルンで出社である。さぁ、俺を褒めたたえてくれ。神童と呼んでくれ。
ところが、現実はそう甘くなかった。誰もゴム印の話をしないのだ。それどころか、誰も話題に触れないような雰囲気を感じる。なぜこんなに腫れ物に触れるような扱いを……?ということで、痺れを切らして「そういえば、アレ、届きましたかね~(小声)」とこちらから切り出す羽目になってしまった。嗚呼恥ずかしい。
女性の事務員さんに、困惑の表情が浮かぶ。そして、表題の言葉が返ってくるのだ。「インクが乾かないと領収書が出せません」と。
どうやら、ゴム印のインクがあまりに濃いせいで、領収書に押したはいいものの、それが乾いていないため文字移りしたり、クリアファイルなどに挟もうものならそれが滲んだりと、散々なことになったらしく、ゴム印の華々しいデビューになるはずの日は「全て手書きで書き直した」という、散々な敗北を喫したという。
事務員さんの机には、裏紙に何度も同じゴム印を押した跡が残されていた。聞けば、8回くらい別の紙に押した後に領収書に押印するのがベスト、らしい。8回。8回も無駄打ちしないと実用に適さないという、愛しのゴム印。作業効率を願って作ったはずが余計に手間を増やしてしまった、呪いのゴム印。
印鑑を頼むのは初めてだったので、インクまで頭が回らなかった。濃すぎず、滲まないようなものを、頼むべきだったのだろう。そんなオーダーが通る当意即妙の商品があるのか定かではないが、私は私の無知ゆえに、事務所を混乱に陥れていたらしい。
善意が裏切られるのは、いつだって悲しいものだ。つい先日、気遣いが過剰だったゆえに女性を傷つけた話を書いたのに、舌の根の乾かぬ内に今度は思慮不足を痛感させられることとなった。いつだって私は足りない、おせっかい、余裕がないの三拍子である。
ただ。今回だけは、自分の失態を棚に上げ、怒りの炎を絶やさずにいたい。全ての矛先を転嫁しながら、お上の横暴には屈することなく、生きていこう。
おのれ許すまじ、インボイス。