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アナザーではなくアペンドディスク。『仮面ライダーエグゼイド トリロジー アナザーエンディング』

 医療×ゲームという予想外の組み合わせをコンセプトに始まった平成ライダー第18作目『エグゼイド』は、患者の命を救う「オペ」の行為をライダーと怪人(バグスター)の闘いに見立てることで医者従事者としての使命を描く一方で、キャラクター自身の運命が目まぐるしく変化していく物語のスリリングさが観る者を魅了し、好評を博した。諸事情あってか従来の作品より一か月早く、すなわち4~5話分短い話数で完結したものの、とても満足度の高いエンディングを迎えた。

 『エグゼイド』の物語はTVシリーズと、その後日談を描いた劇場版『トゥルーエンディング』『平成ジェネレーションズFINAL』で完結したかに見えたが、なんと完全新作のVシネマ三部作の発売が決定し、先行上映も実施(その上6月には小説版もリリースされる)。ゲームが題材かつ「アナザー」と銘打った以上、別エンディングのようなものを覚悟したが、実際のところは後日談とも言うべきで、例えるならあるゲームが他機種に移植された時によく見られる「本編終了後の追加エピソード」のようなものだ。

 とはいえ、これもまた大変興味深く、『エグゼイド』の放送を毎週心待ちにしていたときの気持ちを再燃させられてしまい、今すぐにTVシリーズを見返したい欲求が高まりつつある。本編終了後のおまけ、というこちらの予想を上回る事実上の完結編とも言うべきこの三部作を、自身の備忘録も兼ねて振り返っていきたい。なお、『エグゼイド』TVシリーズ並びに劇場版、そして本作も含めた関連作品全てのネタバレが含まれるため、未見の方はご注意いただきたい。


ブレイブ&スナイプ

 劇場版『平成ジェネレーションズFINAL』から2年。激闘を乗り越えたドクターたちには「仮面ライダークロニクル」で消滅した人々の再生、という課題が残されていた。ブレイブ=飛彩は再生医療に望みを感じ日々患者を救い続けている。そんな中、消滅したはずの恋人・小姫が突如現れるが、彼女は復活したバグスターのラヴリカに洗脳されていた。そしてスナイプ=大我の元に、ニコを訪ねてアメリカのゲーマーであるルーク=キッドマンがおしかけるが、彼はラヴリカのゲーム病に侵されていた。突如始まった謎のゲーム、その背後には壇黎斗の新たな野望が始動していた……。

 三部作の先鋒を飾るのは、飛彩と大我の後悔の物語。消滅した小姫の恋人でありながら医者になるための鍛錬の中で彼女の異変に気づけなかった飛彩と、バグスターと闘う1号ライダーでありながら小姫の命を救えなかった大我。二人の因縁はすでにTVシリーズで解消されていたため、小姫の復活が両者の絆を揺るがすことはないものの、飛彩にとっては辛い闘いになったであろう。消滅した小姫を救いだし、笑顔を取り戻すことを最終話で誓った飛彩に対し、復活した小姫は飛彩に笑いかけることはなく、ラヴリカに心を囚われたシンデレラとしての設定しか与えられなかった。

 一方の大我も小姫のことを気にかけており、彼女を救うためにクロノスのガシャットに適応する抗体を作るために自分を犠牲にし続けていたことが明らかになる。元から一人で背負いこむ気質のある大我だが、そのエピソードが彼の責任感の強さを思わせる。その必死さが裏目に出て(口下手なのも災いし)他者と協力することを避けてしまう傾向があるため、本編初期の伝統芸「ガシャットよこせ」も久しぶりに復活。飛彩とも一戦交えたりニコにも厳しい態度をとってしまうものの、それらは全て彼の罪悪感あってものであることは、ファンであれば痛いほど伝わってくる。

 そしてついに大我はバグスターでないと扱えないバグヴァイザーツヴァイを用いてクロノスに変身し、見事小姫の洗脳を解除する。そしてバトンタッチするように飛彩がタドルレガシーに変身し、ラヴリカを打ち倒す。RPGの勇者モチーフであるブレイブが、悪者に囚われた姫を助けるバトルシーンは、白い羽と薔薇が舞う演出も相まって非常に美しい。そして勇者と姫の真の再会。名医になることばかりに目を向けて小姫の目を見てあげられなかったことを悔いる飛彩だったが、小姫はその一直線な姿に恋をしていたことが、先の馴れ初めのシーンでわかっているため、実は飛彩の後悔は独り相撲だったのだ。「世界で、一番のドクターになって」まるで呪いの如く繰り返されたこの一言が、小姫の偽りない本心であったことがわかり、本編にもさらなる意味を付与する、鮮やかな着地だった。小姫の笑顔を見たことで、飛彩の無念も晴れたであろう。

 そうした小姫を巡るメインストーリーと並行して語られるのがニコの決断の物語だが、これがどうも上手く作用していない。ゲーマーとしてのライバルであるルークは、自分がゲームで勝利したらニコに自分と交際するよう迫るのだが、その時点でニコにとっての大我に勝る魅力があるライバルとなる説得力が皆無で、最後の決断もイマイチ飲み込めないものになっている。男女の交際の観点ではもちろんのこと、ドクターたちの生き様を見て医療の道を志した彼女が、再び天才ゲーマーNとしての生き方を選ぶまでのドラマを、充分に描き切れていないのだ。60分尺ゆえ難しいところではあったが、それならばいっそルーク周りのドラマは不要だったのでは、とさえ思ってしまう。

 結論としては、TVシリーズの延長線上にある物語であり、『エグゼイド』全史の縦軸にさほど影響は及ぼさないものの、飛彩と小姫、そして一人で闘う仮面ライダー・大我の物語としては、本編の内容を補完する意味でも必見の一作であったのは言うまでもない。本作ならではの新フォームや新規造形の敵が存在しないため迫力は見劣りするが、終盤はなんとか演出でカバーしたようにも思う。なお、三部作をそれぞれ繋ぐ役割を持つ、再生医療の専門家である八乙女紗衣子と壇黎斗は未だ表立った行動はしてないものの、すでに悪役オーラばっちりなので、目が離せない。果たして、真のラスボスの野望とは何か、期待が高まるところだ。

パラドクスwithポッピー

 再生医療の専門医・八乙女紗衣子の依頼で、新開発の育成ゲーム「バグスターをつくるぜ!」のテストプレイに参加することになったエグゼイド=永夢だが、パラドとゲーム対決を続ける度にある異変に気付く。一方、紗衣子によって育成されることになったポッピーだが、人間に近づく度に宿主である壇櫻子の記憶が脳裏をよぎる。そして、ついに正体を現した“もう一人の”パラドが放った銃弾が、永夢の体を貫いた—。

 続く2作目は、バグスターとしての命を認められたパラド、ポッピーの物語と、三部作のために用意された新キャラクター、紗衣子の野望が明らかになる、最終作へのブリッジとなる一本。バグスターの中に残された人間の遺伝子を復元させることで、消滅した人々が復活する可能性は『ブレイブ&スナイプ』でも示唆されていたが、その研究の一環としてゲンムコーポレーション現社長の小星作と紗衣子が共同開発した、バグスターの育成ゲーム。しかしこのパラド、どう見ても普段のパラドと様子が違うのだが、この時点では永夢は気づいていない。後に以心伝心する演出があるのだから、ここで気づかないのは少々都合が良すぎないだろうか。

 一方のポッピーは紗衣子によって育成されるのだが、ここは松田るか氏のプロモーションビデオと化したコスプレ劇をまずは堪能しよう。問答無用に可愛いので、世の男性陣はこのシーンでBDの購入検討をしても良いかもしれない。それはさておき、紗衣子の育成(調教?)によって、バグスターウイルスの感染元である壇櫻子(黎斗の母親)の記憶を呼び覚ますのだが、回想シーンの正宗さんの笑顔が卑怯すぎて、またしても茶々を入れたくなってしまう。どうしてこんな素敵な笑顔のナイスガイが、絶版おじさんになってしまったのか。櫻子さんの影響や計り知れない。

 やがてゲーム対決で永夢を下したパラドは育成の終了を宣言し発砲、永夢はその凶弾に倒れる。そして明かされる驚愕の真実。紗衣子の父親はあのDr.パックマンこと財前美智彦であり、彼を復活させるために黎斗と共謀していたこと。育成ゲームの目的はバグスターの宿主の遺伝子情報を取得し、もう一人のパラド=壇正宗とポッピー=壇櫻子の遺伝子情報を元に黎斗を人間として蘇生させること。まさかの血縁関係の発覚に、驚かされたファンも多いだろう。

 その間捕らわれていた本物の(永夢から生まれた、という意味の)パラドだが、永夢と心を通わせ、その遺伝子を用いて拘束から解放される。本来互角であるはずのもう一人のパラドに負けた理由を、「心を持った」からであると断じられたパラドだが、それが間違っていることを証明するために立ち上がる姿は、とてもアツい。紗衣子もバグスターを再生医療発展のための「モルモット」として扱い、ポッピーを虐げるも、一つの命として認められた彼女は、それを否定する。消滅した人間を救うためなら何でもする、でもバグスターの命を蔑ろにする紗衣子の考えには同調しない。元はただのデータでしかなかったバグスターにも生きたいという「意思」、そして一個人としての「心」が宿ることを証明し、命を守る仮面ライダーとして闘う。TVシリーズの積み重ねも含め、パラドとポッピーのビギンズものとして(本編終了後だが)、とても真っ当なストーリーであった。

 かくしてパラドは自分の影に打ち勝ったものの、それこそが黎斗の真の狙いだった。黎斗は天才ゲーマーMの能力を得たもう一人のパラドを吸収し、ゲームマスターとしての才能と天才ゲーマーの実力を併せ持つ“神”に進化を遂げる。紗衣子の願いも踏み台にして、神の領域に登りつめた黎斗は一体どんなゲームを送り出すのか。そんな緊張感溢れる雰囲気を、裸一貫でぶち壊しにしてくれる黎斗(を演じる岩永氏)の圧の強さに、やはり笑いが禁じ得ない。

ゲンムVSレーザー

 ゲームマスター・黎斗が仕掛ける新たなゲーム「ゾンビクロニクル」によって多数のゾンビゲーマーが街に放たれ、人々が次々と感染するパンデミックが発生。黎斗を止めるために単身で挑むレーザー=貴利矢だが、神の如き力を得たゲンムに敗れてしまう。その頃、ガシャットに残されたデータから復元された壇正宗はクロノスに変身し、息子の暴走を止めるために奮戦するのだが—。

 三部作の最終章は、暗躍していた黎斗の真の目的が明かされ、因縁の相手でもある貴利矢とも決着が描かれる、ラストステージに相応しいビッグイベント。かつて貴利矢を殺害し、バグスターとして復活することになった貴利矢にとって、黎斗は共に世界を救った仲間でもあり、憎むべき敵でもある。そんな二人の関係に、ついに一つのピリオドが打たれるわけで、盛り上がりも前2作よりヒートアップ。

 有言実行、ついに神となった黎斗は、新ガシャットによってレベルビリオン(10億)に到達。そんなもんゲームマスター次第だろ、と貴利矢も観客もツッコむわけだが、想定外の攻撃を繰り出すのでマトモに闘ったらおそらく最強クラス。そんな息子の暴走を見かねてか自らの過ちを認める正宗だが、「お前はこの世界に生まれるべきではなかった」と衝撃の一言。全ての命を助けようと闘うドクターたちの物語である『エグゼイド』において、こうした台詞を吐けるのは彼しかいない。息子を正すは親の務め、と久しぶりに「絶版」宣言をする正宗パパだが、なぜ相手が「ポーズ」対策をしていないと思ったのか。どうも詰めが甘いパパン、無念の退場。

 対する貴利矢も、己の白衣を永夢に託して、最終決戦に臨む。これは「医者」として命を救い続けてきた貴利矢が、黎斗の命を奪う覚悟で闘いに望む意思の現れだろうか。それにしても三作とも主役のエグゼイドが変身しないとは思わなかったが、やはりビリオンでもムテキには敵わないのだろうか。唯一の対処法が「変身させない」しかないムテキゲーマー、歴代でも最強の最終フォームの可能性が浮上してきた。

 かくして、あのクリスマスを彷彿とさせる大雨の中、黎斗と貴利矢の闘いが始まる。正宗から受け継いだバグヴァイザーツヴァイと、人間だった頃の愛用ガシャットであるギリギリチャンバラを組み合わせての新フォーム、というのも座組みとして良いのだが、切り札になったのは正宗が仕組んだ、初期化のプログラム。ビリオンの力を無効化し、対等となったゲンムとレーザーのタイマン。闘いを制したのは貴利矢で、劇場版『トゥルーエンディング』で残り1となった黎斗のライフもついに0、消滅を迎えた。

 決戦の前に黎斗は、ゾンビに打ち勝つことで消滅した人々を救いだせるゲーム「ゾンビクロニクル」を始めたものの、プレイヤーは早々に攻略を諦め都市は無人と化し、ゲームマスターに挑戦しようとする者は現れなかった。時代が自分の才能に追いついていないと感じた黎斗は、やはり孤独には耐えられない存在だったのだろう(罪は数えるべきだが)。また、貴利矢に指摘された通り、母親の櫻子を救えなかった医療に対しても憎しみを抱えており、それらが織り交ざった結果どうしようもなく相容れない価値観の元、行動していたことが暗示される。ゲームを誰よりも愛し、自分の才能に絶対の自信を持つが故に理解されなかった天才の孤独。

 そんな彼が「神」の名を捨て「壇黎斗」に回帰したように、貴利矢もまた人間に戻れるらしい。いつも飄々とした態度の貴利矢だが、自分が人間でないことに何かしら思うところはあったのであろう、安堵の涙にはこちらもこみ上げるものがあった。また、黎斗の新ガシャットにより再生医療の研究が進み、消滅した人々の復活に新たな希望が生まれたらしい。黎斗に騙されていたとはいえ八乙女先生がちゃっかりお咎め無しな辺り衛生省仕事してない感がすごいものの、「医療の発展」に望みを託すエンディングは、とても『エグゼイド』らしいポジティブな姿勢だ。それぞれのドクターが己の道を見定め、前に進んでいく未来を予感させる、清々しいラストである(大我もまた本作で救われる)。

 と思った矢先、意味深な土管がチラリ…。そして何だかんだ生き延びている壇黎斗。これは後の小説版に繋がるのか、あるいはリップサービスか。どちらにせよ、『エグゼイド』屈指の人気キャラクターただでは死なず、次のゲームが気になってしまうあたり私も黎斗教の一人なのかもしれない。

 こうして、『エグゼイド』の完全新作を鑑賞したが、脚本の高橋悠也氏への信頼度がさらに増したように感じる。後付けとはいえ本編と矛盾しない設定の考案や、綺麗に完結したTVシリーズや劇場版とも違和感のない接続面の処理などを見ると(脚本家一人の功績にするのは乱暴だと承知の上で)、その作りこみの確かさに感服するしかない。劇場版やファイナルショー、挿入歌の作詞なども幅広く手掛けながらこのクオリティを維持するとなれば、東映も手放すことはないだろう。

 なんとお次は『アマゾンズ』劇場版の脚本だが、品質は約束されている、と言ってもいいかもしれない。そしてようやく落ち着いたかに見えた『エグゼイド』も、消滅した人々が揃っての大団円もやはり見てみたい、なんて妄想しながら、6月の小説版を待ちわびることにしよう。

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