パレード
魔法がかかったような音を奏でる人に憧れる。
何かに取り憑かれたように演奏するその顔に、
神様がそばにいるかのようなその音に、
どうして、どうして、
とただ問いかけることしかできない。
あそこに行けたらいいだろうな、
そんなことも思うけれど、
残念ながら、今の私にはその技量がまだ、ない。
私が魔法をかけられるのは言葉だけ
ただ、それだけだ。
その言葉でさえも、魔法がかかってる気がしているのは
私だけなのかもしれないけれど
5年前、私のあたまは言葉で溢れていた。
道を歩いていると、言葉が踊った。
書き溜めても書き溜めてもとめどなく溢れてくる言葉たちは
何かが、ただ、かなしくて、ただ、くるしくて。
あの時の言葉たちはどこに行ってしまったのだろう。
引越しの時、母はちゃんと荷物に入れてくれただろうか。
あの時の言葉を拾いたいわけじゃない
どこかに、まだいるということがたいせつなのだ、きっと。
こないだ、少しだけ音のせかいに入ることができた気がした。
わたしの大好きなあの子のギターと、わたしのドラムの音しかないような、そんなせかいに。
他の楽器も、お客さんも、この2つをつつみこむためにいるような、
すごくいい時間だった。
まだ、自分が叩いてる動画は見てない。
見たいような、見たくないような。
改めて見たときにあまりよくなかったら、ちょっとしょんぼりしてしまう気がする。
でもいいんだ、あれはすばらしい時間だったのだから。
だれかに音をつたえるのは、難しい。
言葉よりも、ずっと、ずっと。
私の音は言葉よりもはるかにつたないのに、
すぐに「わかってほしい」と思ってしまう。
自分が表現したいものを、
私のきもちを。
不思議な話だ。
私は自分の言葉を、
誰もわかってくれなくていいと、
私だけがわかっていればいいと、
そう思っているのに。
でも、つたえるには手段が必要だ。
自分の中に小さいころからためてきた言葉が、
菱木晃子さんの、三浦しをんの、有川浩の、
洋次郎の、Fukaseくんの、王子の、
ほかにもたくさんの人の言葉が、
今の私を表現しているように、
もっと自分を表現するための術を、
フレーズを、ためておかないといけない。
ちょっと、嬉しかったりもするんだ。
こないだまで叩くのに必死だった私が、
音で表現したい、なんて言いだして。
でもそのためには、
もっと、練習しなくっちゃ、ね。