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綱島古墳・カネ塚古墳 早渕川遺跡紀行(1)

小さな都市河川から緑のモフモフを探訪する

 以前、鶴見川支流の矢上川沿いに古墳散策しましたが、今回は鶴見川支流・早渕川の遺跡散策をしようと思います。何があるか楽しみです。
(散策は複数日に分けて実施。写真の季節感などが微妙に異なります。)

早渕川河口

 早渕川は横浜市青葉区美しが丘に水源があり、都筑区と港北区を通って綱島付近で鶴見川に合流します。小さな川ですが一級河川で、この近辺の川の特徴としてかなり蛇行しています。

鶴見川との合流点

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 手前を流れるのが鶴見川、右手奥から注ぎ込むのが早渕川です。

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 河口近くには、巨大なマンション群が軍艦のように並び立っています。
 写真の右手、早渕川の左岸(=流れに沿って左)に綱島台という台地があります。

綱島古墳

 住宅街のオアシス綱島公園内の緑に囲まれた古墳。東急東横線・綱島駅西口から緩やかな坂を上った綱島台に鎮座しています。

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 ここに至るまでが長い坂道。

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 道なりに頂上付近まで進むと、左手に小道があります。

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 目印が出てきました。右手に進むと…

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 案内板があります。

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 直径20m、高さ3mの円墳とのことですが、東側にわずかな出っ張りがあり、前方部なのか帆立貝式なのか不明だそうです。

 ぐるっと時計回りに回ってみます。

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 「もしかしたら前方部だった所」を登ります。

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 樹木が茂っていて形がはっきり分かりません。

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 こんもりとしていますが…

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 木道で古墳がえぐられている?

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 東屋(現存していない)を設置するためにえぐられたっぽいが、ここが「もしかしたら後円部の正面」あたりか。
 加瀬台古墳群の円墳と比べてやや大きいかな。墳裾が明確じゃないので、もっと大きいかもしれない。

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 元の場所に戻ってきました。綱島古墳は、矢上古墳と同じ5世紀後半の築造。この地域では中期の古墳。

 鶴見川の下流域には多くの古墳がある。前期の古墳として、全長70~90mの前方後円墳である観音松古墳(港北区日吉)や 白山古墳(川崎市)、中期では矢上古墳(港北区日吉)やカネ塚古墳(同・新吉田町)、後期では駒岡堂の前古墳(鶴見区駒岡)など。-中略-
 これらの古墳は、大きく分けて日吉・加瀬を中心とした矢上川下流地区、駒岡・末吉 などの鶴見川本流右岸地区、それよりやや上流の大曽根・師岡 地区、そして早渕川最下流の地区の4つ。綱島古墳は4番目のグループに含まれる。     埋文よこはま(H21.3.18)を要約

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 古墳と平野部の高低差は26m。古墳よりやや下の多目的広場からの眺望。綱島台は単独峰なので、地域の有力者が葬られたのかもしれません。

 早渕川に戻ります。 

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 河口から少し進むと流量はかなり減って穏やかです。ただ、所々でしゅんせつ(水底の土砂を取り除く)土砂を巨大な土嚢に詰め込む作業をしていました。水害対策なのでしょうか。

カネ塚古墳

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 峰大橋から右岸に渡り、緑のモフモフに向かって坂道を進みます。

 

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 途中、このようなビューポイントがあり、「これが古墳なのか?」と思ったら、記念撮影をしていた老夫婦が「地域の人が造った花壇らしいです」と教えてくださった。(仲の良い微笑ましいカップルでした)

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 螺旋を描くように急な坂道を上ると、このような景色が。

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 グーグルマップによると、ここがカネ塚古墳です。

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 竹やぶでどこが古墳だか分からないのですが、墳丘径34mの円墳で四神鏡や勾玉が出土しているとのこと。

 ネット情報も少なくやや消化不良ですが、目的地はまだまだ先にあるので前進します。


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 途中、赤いアーチが愛らしい人道橋。

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 ママチャリを漕ぎ漕ぎし続けると、第三京浜が見えました。

北川貝塚

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 この高台のずっと奥に北川貝塚があったそうです。残念ながら現存せず、案内板すら無いようなのでスルーします。
 リンク先に発掘当時の写真と共にかなり詳しく説明されています。

 北川貝塚は標高 25 mの丘上にあり、 地元では「 貝殻畑」と呼ばれていた。-中略- 1980~90 年台にかけ北川貝塚の大半と北川貝塚南遺跡の調査を行い、旧石器・縄文・弥生・平安時代の大遺跡とわかった。
◆旧石器時代の生活のあとと道具 
 2万年前には海水面がかなり低くなり、横浜北部は高さ 200 m前後の丘となっていた。ここでは台地中央部のローム層の中から小規模な石器製作あとが、南遺跡から石器と木炭粒が見つかった。東地点からは2万数千年前の姶良テフラの下から、横浜では最も古い時期の石器が出土。また鋭い刃をもつ安山岩のナイフが採集。  埋文よこはま15より要約

 さて、気を取り直して、前に進みましょう。

早渕かなりあ公園

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 第三京浜を越えてすぐの場所に、公園がありました。

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 高い所を見ると登りたくなる性分(猫か?)

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 結構高さがあります。ワクワク。

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 わ~、広場から対岸の台地が望めます。こちらは東山田方面。

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 こちらは都筑方面。ニュータウンのマンション群が見えます。

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 公園の下が遊歩道になっていて、隣の台地には橋で渡れます。そこは見晴らしの良い墓地でした。

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 元々は川筋のよう…これを上手く利用して台地上へのアプローチに。これなら、自転車もベビーカーも苦痛なく上がれそうです。

 この辺りは台地の先端部に墓地が目立ちます。土地の有効活用なのか古くからの墓地なのかは不明ですが、増水で流されることを恐れ高台に建てたのかもしれません。昔の人は先祖のお墓を大切にしていましたからね。
 古代人に通じる考え方でしょうか。

綱島の地形と由来

今行程の標高図

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 赤い△は、右から綱島古墳、カネ塚古墳、北川貝塚、早渕かなりあ公園。高くなった台地上に遺跡が存在しています。

 鶴見川がかなりの暴れ川だったことが、青い部分から推測されます。台地にぶつかって、色々と流路を変えていた痕跡があります。鶴見川と早渕川の流れが、綱島台を元の台地から切り離したように見えます。


綱島の語源

 ツナシマは、「中州に浮かぶ島=津の島」や「繋がる島」から由来するとも言われています。

 地域の歴史研究家が、その謎に迫っています。

(2)につづく


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とぅーむゅらす
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