見出し画像

御霊 鶴見川古地名散策

以前、神に関わる地名を散策しましたが

今回は、仏さま(?)に関わる地名を散策します。

神仏地名?「御霊」へ

吉田村の早渕川沿いにある神秘地名「御霊(ゴリョウ)」を訪ねました。
以前訪れた、新吉田杉山神社や新吉田富士の近くです。

目印がないので、地図ではお寺を表示しています。

第三京浜の手前の、早渕川の堤防道路から一本内側の道を進みます。
アパートの横から出ている細い道を登ってみましょう。

下からは想像できないほど、平らで広い場所でした。

正福寺

地域の歴史に関わりがありそうなお寺です。

天台宗の寺院で、山号は星宿山(ロマンティック)。
ご住職が子どもサッカークラブの代表コーチだそうです。

でも、歴史的な由来を調べることができませんでした。


残った痕跡を探して

お寺を出て、道に沿って高い場所を目指しました。すると…

あっ、祠がある?

先に進んでみよう。

きっと御霊に関する何かがあるはず…(ワクワク)

と思ったら、第三京浜でした。

地形的にはどうなんだろう?

赤い点が庚申塔の場所

早渕川を越えた高台に、御霊社があったのでしょうか?
庚申塔(?)や祠は、その奥に立っていたようです。


御霊の由来

鎌倉権五郎景政か?

字杉山の北側、新吉田第二小学校周辺地域を字御霊(ごりょう)といいます。鎌倉権五郎景政(ごんごろうかげまさ)が16歳で後三年の役(1083~87年)に出陣し、片目を射られて帰参する途中で亡くなったとされる場所です。
建武3年(1336年)に景政を祀る御霊堂(ごりょうどう)が立てられたことから、やがて地名となりました。

新吉田・新吉田あすなろ地区ー地域の成り立ち 大倉精神文化研究所

御霊社は現在、新吉田杉山神社に合祀されています。

しかしWikipediaによると、景政は後三年の役の後も生存し、嫡子もいました。また、全国各地に景政の亡くなった地や御霊神社が存在しているようです。


御霊信仰

御霊信仰とは、非業の死を遂げた人の魂を鎮め、畏怖することで、地域の平和と繁栄を願う信仰だそうです。昔、この地で非業の死を遂げた人がいて、その霊を慰めるために建てたお堂が、時を経て話が大きくなり、英雄にすり替わって祀られるようになったのかも知れません。

面白い風習

この地域には、景政伝説に由来する面白い風習が残っているそうです。

『港北百話』によると、傷ついた景政は馬で運ばれて帰ってきましたが、吉田村で亡くなります。ちょうど暮も押し詰まっての騒ぎであり、地域の人々は正月の準備をする暇もなかったため、それ以来吉田村では門松を立てなくなったといわれています。
また、正月のお飾りは、通常は一夜飾を避けるのですが(大晦日は歳神を迎えるための厳重な忌み籠りをする日であるため)、吉田村では逆に一夜飾をするという習わしが生まれたといいます。

第121回 門松と鎌倉権五郎景政と『港北百話』


こう考えると…
歴史人物由来地名って、結構ゆる〜く付けられているんですね。

いいなと思ったら応援しよう!

とぅーむゅらす
オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。