見出し画像

「富士塚」狂詩曲(0) 概論

憧れの富士登山疑似体験ー江戸時代のリモートツーリズム

私の実家は、武蔵野台地上の街道近くの宿場町。近隣の神社には富士塚が多く、私にとっての富士塚は溶岩を置いた小さな塚のことだったが…。
今回、鶴見川紀行の中で見つけた富士塚は、ちょっとレベルが違う!これから横浜市内の富士塚を巡る前に、まずは富士塚概論を学んで見よう。

そして、タイトルにある狂詩曲(ラプソディー)とは…

決まった形式を持たず、楽器や演奏形態も自由。民族的、叙事的または愛国的な内容を表現した音楽で、即興性も持ち合わせる。既成のメロディーを引用したり、異なる曲調をメドレーのようにつなげて構成することが多い。
江戸時代中期以後に流行した漢詩体で滑稽な詩や、空想的で土地の民話的な詩を「狂詩」といいますが、ラプソディーが日本に紹介されたとき、当時の翻訳者が頭を絞って「狂詩曲」という訳語を考えついたといわれています。

「ラプソディ」の意味と使い方・由来・意味の定義|狂詩曲より 抜粋要約加筆

「なぜタイトルが狂詩曲なのか」は、後々分かると思います。


トップ画像は、国会図書館イメージバンクより目黒元富士を使用しています。


富士塚とは何か?

富士塚(ふじづか)は富士信仰に基づき、富士山に模して造られた塚や自然地形の山である。「○○富士」の名称で呼ばれることもある。

このような富士塚を、いったい誰が、何のために作ったのか?

目黒新富士 国会図書館イメージバンクより 


富士講

富士塚を作ったのは、主に富士講と呼ばれる集団である。

江戸時代中期、富士山を崇拝対象とする富士信仰が流行し、江戸を中心にその宗教集団「富士講」が多数発生した。「稼業に勤しめば精進できる」という素朴な富士講の教義は、元より富士山に対する信仰があった武蔵国一帯で熱狂的に受け入れられ広まった。「江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講」と言われるように、あまりにも流行したので幕府から規制されることもあった。

・ 富士登拝

富士講の大きな目的の一つが、実際に富士山登山することである。
登山と信仰の指導者「先達」と共に、講員の代表者が年に一度の富士登拝する。登山には資金が必要であるため、講(グループ)内で資金を出し合い、講員が順番に参拝した。江戸末期の富士講は50戸以上で構成され、登拝者は代表の3~7人の健康な男性で、徒歩で往復10日の行程だった。

【ご参考 富士講の運営と富士登拝のルート】


・ 疑似体験施設としての富士塚

一方で、女性や老人、病人など登拝ができない講員たちも、富士詣体験を強く希望していた。そこで、万人が参詣できる代用施設として、講が主体となり関東各地に富士塚が造られた。
1780年に築かれた高田富士(早稲田大学構内)が江戸最古の富士塚と言われる。それは、10m前後の築山を溶岩で覆い、頂上に富士山頂の土を埋めて作られたものであった。



富士塚の形式

富士塚の造営方法は通常の人造の山(築山)と同様であるが、中にはすでに存在する丘や古墳を転用したものもある。富士山の溶岩を積み上げたり、一部に置いたりした塚もある。自然地形の丘や山を富士山に見立てることも多い。

本家の富士山を模倣して、麓に里宮、山頂に奥宮を設ける場合もある。静岡側の御殿場口と山梨側の吉田口の二つの登山口を再現したり、またジグザグの登山道に合目石や石像などを設置した塚もある。

富士山の山開きの日に、富士講が富士塚に登山する習慣がある。

明治~昭和前期の富士塚は、高さが6m前後の築山を溶岩で覆い、石碑を置いたものが多い。登拝体験以外にも講の活動記録碑的な役割があったと考えられる。


・ 富士塚を作るのは大事業

現在の造園技術でも築山の限界勾配は35°とのこと。あまりにも急勾配だと作るのも大変だし、崩れ易いのでメンテナンスも大変らしい。美しい見栄えを保ちつつ維持管理ができるのは、だいたい30°ぐらいなのだそう。

ちょうど直角三角形(30°60°90°)定規の短辺を軸に回転した円錐形が、コニーデ型富士塚の単純モデル。果たして、高さ10mの富士塚の体積は…なんと3142㎥、オリンピック公認プールに水深2.5mまで水を張った容積とだいたい同じ。

つまり、一から富士塚を作るのに50mプール1杯分以上の土砂が必要になる(土砂には空隙があり、叩き締めると容積が減る)。それに35m四方の土地も必要だ。耕作可能な平地に富士塚を作ることはないから、盛り上がった自然地形や古墳に盛土して造成したに違いない。確かに、古墳は見晴らしの良い所に築造するから、富士塚にはうってつけ。

いずれにせよ、直接的生産性のない土木事業に資金と人足を投入するのだから、当時の人々の富士山信仰への並々ならぬ熱量が伺える。

関東周辺の富士塚の分布

こちらの地図を扱ったサイト内に、富士山が見えるマップ「富士山ココ」が収蔵されています。

これを見ると、富士山は結構遠くから見えるのだなぁと感心します。地形が許せば半径300kmの範囲で視認可能で、北は福島県、東は千葉県犬吠埼、南は八丈島、西は滋賀県。最遠限は和歌山県の色川富士見峠だそうです。

また、同じく収蔵されている「東京の富士塚」を見ると、都内の富士塚の多さに圧倒されます。

こちらには、富士塚や浅間神社を詳細に調べ上げているサイトがあります。

ここから、県ごとの富士塚の数や信仰の様子を見ることができます。
(純然たる富士塚以外にも、郷土富士や藤山、自然地形や古墳利用の塚、石碑のみ、浅間神社なども含まれています)

総合集計したデータがないので、僭越ではありますが、ざっとまとめてみました。(数字をみると集計したくなる性質なんで…すみません)

http://fujisan60679.web.fc2.com/fujiduka.html より集計

こちらの統計も見ながら、関東の富士塚について見てみます。


東京の富士塚

やはり、江戸の中心であった23区内に多く存在。発祥の地から周辺へ伝播したと考えられ、富士山が見えるところに富士塚が作られた。

下の図は、富士塚の築造時期による分布。

最初は、武蔵野台地上とその周縁に多かった。

江戸末期の富士塚の特徴
富士塚築造の分布は、初期は御府内やその周辺の町に多くみられるが、1842(天保13)年頃からは川越街道沿いなど江戸郊外の農村。その後の1839(天保10)年以降は、江古田や板橋など江戸郊外の農村での築造が多くなった。また、富士塚の築造場所の多くが神社であった。そして図3から判断する限り、江戸西部 の台地上にある富士塚は崖を利用することが多かった。

富士講からみた聖地富士山の風景より抜粋要約

その後、だんだんと街道に沿って広がっていった

明治期から昭和前期に築造された富士塚の特徴
①分布は川越街道、日光街道、水戸街道など街道筋の農村や、荒川や江戸川周辺の農村に多くみられ、とくに 東京東部の農村の富士塚は分布が密であった。
②形態は講碑などの石碑が多い点である。
③富士塚の築造目的が富士登拝の疑似体験 にとどまらなくなっていた。
④江戸末期と同様に、富士塚では決められた日に祭りが行われ,富士講員は富士塚に登拝した。

富士講からみた聖地富士山の風景より抜粋要約

戦後の富士塚
戦後に築造された富士塚がほとんどない。
戦前に築造された富士塚の縮小撤去が行われた。現在でも登拝が行われる十条富士、品川富士などの富士塚の高さは6m以上で、このことから富士登拝と同様の体験ができる装置としては6m程度高さが必要である。 2~3m以下の高さの富士塚は縮小され た可能性が高い。特に大正期以降に築造された富士塚の多くが縮小された。

富士講からみた聖地富士山の風景より抜粋要約

【ご参考】

◆地理学の観点からまとめられた富士塚
富士塚の諸相 中島義一(駒澤地理 No.44 pp. 1 ~12, 2008)
富士講からみた聖地富士山の風景 -東京都23区の富士塚の歴史的変容を通じて- 川合 泰代(地理学評論74A-6 349-366 2001)


関東周辺の富士塚(石碑や神社を含む)

意外にも北関東(栃木、群馬、埼玉)に多く、中でも突出して埼玉県に多く存在するが、自然地形でない場合はあまり高くない。

千葉県も数が多い。京葉地域や県北部よりも南総・安房と半島を下るにつれ、自然地形の利用のため比高が高くなっている。

神奈川県内の数は東京都と同程度だが、比高が高い。富士山に近いコニーデ型の塚もあり、裾野もかなり広い。自然地形を利用した富士塚も目立つ。

さすがに山梨、静岡は本家に近いので数は少ないが、富士山麓に集中して富士講碑や富士山信仰の神社が目立つ。

長野には富士塚の数が少ないようだ。

…キリがないので、この辺で終わりにしておこう。


富士塚のその後

戦後、富士講を通さずとも富士登山できるようになると、多くの富士講は解散し、富士塚も開発により縮小や撤去を余儀なくされた。また、その管理主体も神社や公園(自治体)などに代わっていった。

維持管理に費用がかかるので放置されている塚もあれば、危険のため閉鎖したり、さらなる崩壊を防ぐために立ち入り禁止となっている富士塚も多い。

その一方で、僅かながら富士講も存在し、富士塚の保存や維持管理、富士登拝活動などを続けている。


*****************************


次回は都筑区の富士塚を見に行きます!

こちらは港北区の富士塚

さらっとしか触れていないけど、鶴見区の富士塚(鶴見神社)


いいなと思ったら応援しよう!

とぅーむゅらす
オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。