鴨居原遺跡 鶴見川遺跡紀行(6)
ナイナイナイ遺跡がない? ナイナイナイ古墳がない? ナイナイナイそんな事はない!
前回からの続き。
鶴見川中流域3
鶴見川多目的広場から先に進みましょう。
首都高神奈川線と並走。ホント人間ってすごいものを作っちゃうんですね。
前に見える小机大橋と第三京浜の高架を超えると、北岸になにやら
大きい施設を建設中…っていうか、マジか!こんな所にっ!?
ハザードマップ真っ赤っ赤な所だぞ!
川向町~小机周辺は一時的に川幅が狭くなっている。本来、この辺りが遊水地の役割を果たすべき場所なのに…。
【ご参考】鶴見川ハザードマップ
これは3月に撮影した写真で、今ではかなり高くなっている。ハウジングメーカーの垂れ幕が掛かっているのでマンションらしい。(実際には、大手スーパーの物流センターとハウジングメーカーの倉庫的建物だった。住居でなかったので一安心)
武蔵小杉の内水氾濫が問題になった後にハザードマップ浸水危険地域に大型マンション建てるというのだから、さぞかし防災対策が充実した設計になっているのでしょうね(2〜3日水が引かなくても大丈夫なような)
新川向橋
はぁー、気を取り直して先に進もう!
川向橋を超えると、左に横浜線の線路が見えます。かすかに「チュン、チュン」さえずるような音がレールから伝わってきます。遠くから横浜線が走って来ました。
ん?突然、目の前に斜めっている橋!
高速?と思いきや県道12号(横浜上麻生道路)。かつては川向橋が12号本線でしたが、1977年にバイパスとして橋を新設。当時、一般道にこれほど大がかりな橋を作ったのは、川と線路を同時に超えて速く神奈川方面に接続させる必要があったからでしょうか。
今昔マップを見てみると、1960年代は田畑ばかりだった北岸に、70年代後半には工場が林立しています。
地図上で高度差が17mほどで全長は104m。台地の上に直接橋を架けたのがすごい。車から見るとそれ程でもないけれど、川岸から見ると壮大。
カーブから上へ向かっていくスロープが好き。
鴨居東本郷地域
この辺りは川幅が広くビルが少ないので視界も広がり、周りには緑がいっぱい。鶴見川サイクリングコースの中で最も好きな場所です。
ここからしばらく横浜線と離れます。
緩やかなカーブに伴い堤防の外に農地が見えてきました。
結構な規模の農地です。
ここは、横浜市農地専用地区の指定を受けている地域です。
先ほどのハザードマップを見ると、ここも浸水が予想される地域です。川幅が広いので川向町ほどハイリスクではないのですが、万が一の時に農地は遊水池の役割を果たしてくれます。
ただでさえ住宅需要の高い横浜線沿線の広大な平地。対岸から眺めると、丘陵地にはビッチリと住宅が並んでいます。もし、ここが農地でなければ、大型マンションや商業施設が立ち並んでいたかもしれません。新しい住民の中には、その方が便利だと思う人もいるでしょう。
しかし、この長閑な自然環境は、将来に渡って残さなくてはなりません。
開発から農業地域を守るには自治体の法整備と支援が必要ですが、それだけでは成り立ちません。農業従事者とそれを支える地域の協力と連帯がなければ維持出来ないのです。一箇所でも耕作放棄されれば、雑草が繁茂し害虫も発生し易くなり、栽培環境が著しく悪化して更なる耕作放棄を招きます。
スーパーで安くて形のキレイな野菜ばかりを求めたりせず、地域の青空市場で地産地消を心掛けたいです。
堤防の外側には桜並木、春には花見の名所になります。内側には広い運動公園、こちらも万が一の遊水地帯です。
鴨居駅周辺
ここから巨大なマンション群が立ち並びます。そう、ここは鴨居駅周辺。
鴨池人道橋
鴨居駅から対岸(都筑区池辺町)をつなぐ人道橋。照明のアームが愛らしく、この地域のアイコン的存在です。
もともとは対岸の池辺町にある日本電気と松下通信工業が、社員の通勤用に出資し合って架けた橋。平成3年に横浜市により現在の橋に架け替えられたそうです。今ではららぽーと横浜に向かうお客さんで賑わっています。
【ご参考】駅開設後大きく変わった鴨居の風景(旧鴨池人道橋が見れる)
鴨池大橋
鶴見川と横浜線をまたいで都筑区と緑区を接続する鴨池大橋。県道12号と中原街道の渋滞を緩和するために建設されました。美しいアーチ構造。最近、映画「名探偵コナン」に登場したそうです。
鴨居の語源
「鴨居って障子戸の上の部分?何でカモイっていうのだろう?」と思って調べてみました。すると驚いたことに、横須賀市にも鴨居という地名があるらしい。一般的に言われている語源は次の通り。
横浜市のことは何でも知っているはまれぽさんより。
(あれっ杉山神社の話が!もう逃れられない宿命か...)
鴨居杉山神社
大昔、鬱蒼とした森に神様が居たという。
横須賀市の鴨居
こちらは鎌倉遺構散策さんのブログ。気になるのは、走水、多々良氏というワード。走水は日本武尊が東征の際に拠点とした港。多々良氏は渡来系でタタラ製鉄技術を持ち込んだ氏族。いずれも弥生時代の話。
早渕川流域の大塚・歳勝土遺跡の程近くに茅ケ崎という地名がある。やはり、湘南の茅ヶ崎と同じ由来を持つと考えられている。弥生時代に相模湾地域と鶴見川水系でつながりがあったとすると、益々興味深い。
鴨居周辺の遺跡
鶴見川本流に古墳が少ない件
鶴見川本流域には古墳ロケーションにぴったりな高台があるにもかかわらず、大型古墳があまり見当たりません。上流域の市ヶ尾にある稲荷前古墳と下流の駒岡堂ノ前古墳くらい。むしろ、支流の矢上川の方が白山古墳、蟹ヶ谷古墳などの前方後円墳が存在するし、大きさでも勝っています。
中流域は平地も広く稲作に向いていそうな場所なのに、古墳を築造するような勢力がいなかったのでしょうか?謎です。
まず、この辺りに遺跡が残っているのか調べてみよう!
遺跡はあるようだ!
鴨居駅周辺の魅力マップ(横浜市緑区)
https://www.city.yokohama.lg.jp/midori/shokai/kanko/miru/satoyama.files/0010_20181030.pdf
大きな遺跡として鴨居原遺跡、台地を隔て北側0.6キロメートルには殿谷戸遺跡。そして北東1.5キロメートルには東耕地遺跡があります。
鴨居原遺跡
鴨居駅から緩やかで長〜い坂道をひたすら人力自転車で登ると
丘陵の尾根らしき場所まで来ました。ここは…
先ほどと同じような農業専用地区。
そして、ここが鴨居原遺跡です。
縄文時代の住居跡が発見されたほか、古墳も存在したそうです。
実はちっちゃい案内板。(不法投棄禁止の方がデカい!)
そして、この道が旧鎌倉道。
反対側は鴨居駅方面。
殿谷遺跡
畑の中の坂道を気持ち良く下ると、東鴨居中学校の裏門に出ます。
どうやら、横穴墓や横穴式石室の古墳が存在していたようだが、古い時代からの開発で既に損壊していたそうだ。
笹山貝塚と縄文の海
「こんな内陸にポツンと貝塚」的な笹山貝塚がウォーキングマップに載っていました。
縄文時代には佐江戸の辺りまでが古鶴見湾。かなり海まで遠いけど、ここも優良なJOMONウォーターフロント・ハイランド物件。海で貝を取り、丘の落とし穴で動物を捕まえ、森で木の実を取る。結構充実していた食生活かも。
埋文よこはま19より
遠すぎるので今回は断念。機会があったら行ってみよう。(電動自転車欲しい)
再び鶴見川に戻ります。
鴨居駅からの大型マンションの列が途切れ、再び横浜線と並走。両岸には大企業の研究所や工場が立ち並びます。
川幅が一段と広くなりました。堤防内には広大なグラウンドがあり、増水時にはここも遊水地に。(対岸からの眺め)
川が右にカーブし、ここで横浜線とはお別れ。中原街道(落合橋)が見えて来ました。右手には横浜市水再処理施設。
鶴見川中流域の地形
鶴見川の北岸(都筑区)と南岸(緑区)で行政区が違うんですね。
佐江戸周辺は多摩丘陵。池辺~折本までは下末吉台地。川沿いは堆積低地。
小机(港北区)を超えると多摩丘陵なんですね。鶴見川が佐江戸で急に曲がるのも、多摩丘陵に阻まれているからなんですね。
谷本川・恩田川合流地点
恩田川と鶴見川の合流点、ここまでが鶴見川中流域です。
小机から鴨居までは鶴見川の中でも最も美しい場所の一つ。どんなに都市化が進んでも、この姿を残して欲しいです。
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既に町田まで遡上して古墳散策しているのですが、一旦、鶴見川遺跡紀行を小休止。当面は溜まっている別の記事を上げていく予定です。
【本シリーズのマガジン】
【姉妹編】
鴨居から続いて、恩田川を旅します。