恩廻公園 鶴見川遺跡紀行(16)
旧河道の痕跡が最新鋭の防災拠点!?
前回からの続きです。
今回の記事は、1年半前の春先に行った内容です。
鶴見川上流域
真福寺川と鶴見川の合流点にやってきました。
写真を撮った場所は、水車橋の西側。
振り返ると、そこには変な道筋が…
左奥に続くカーブは、明らかに普通の道じゃない。
恩廻公園
この道を少し入って行ったところに砂地の広場があり、そこに古い看板が。
恩廻公園…「オンマワシ」と読むのだろうか。一体、何を廻したんだろう?
恩廻の由来
言葉としての「恩廻し」は、「恩(良いこと)を行うと、周り回って自分に帰って来る」的な意味だそうです。では、地名としては…?
川が由来?
因みに「廻」を含む地名を検索したところ、水に関連している地名が色々出てきました。
馬が由来?
かつて区内の各地で農耕馬による競馬が行われていたことから、馬に因んで「領主が領内を馬で巡検したおりに、村の境界のところで馬の首を巡らした場所をオンマワシという」(川崎市資料)との説もあるらしい。
大昔にこの周辺が牧(馬の放牧場)だったことを考えると、馬を廻して練習する場所(お馬/おんま+廻し)とかも考えられるかも。
正解は…?
案内板によると、公園そのものが河道だったようです。
公園が行政境界オン・ザ・ライン
実はこの公園、微妙な位置に存在します。
南は、神奈川県横浜市青葉区寺家。
北は、神奈川県川崎市麻生区下麻生。
さらに西側は、東京都町田市三輪。
つまり、公園は東京都と神奈川県の県境かつ川崎市と横浜市の市境なのです。
(公園管理委託とか気になる。仲良く費用折半しているのかな?)
鶴見川旧河道
なぜ公園が県境や市境なのか?
それは、昔の鶴見川が現流路より南に廻り込んでいて、当時その河道が行政境界だったから。V字になった旧河道の北側が川崎市、西側が東京都町田市、南側が横浜市です。
明治期迅速測図と地形分類図を見比べてみましょう。
この地域には、いくつかの旧河道があったようです。
大昔の鶴見川は、度々流路を変えていたのではないでしょうか?自然堤防の形からも、そのように感じます。
古老の言い伝えが正しければ、かつて下麻生の真ん中を流れていた鶴見川を、現恩廻公園の河道に付け替えた可能性も考えられます。
しかし…中世以降なら、そのような大工事は記録があっても良さそうなので、真偽のほどは定かではありません。
恩廻をめぐる歴史
鶴見川流域は、昔から水害や灌漑に苦労した場所でした。
鶴見川は河床勾配が緩やかなため、水路建設に不向きです。そのため、古くは谷戸からの湧水を集めた溜池を水源に稲作をしていました。
しかし、それだけでは低地の田に水が行き渡らないので、標高がやや高く、支流からの水が集まりやすい水車橋付近に、取水用の堰を設けて6km長もの用水路を建設したのだと思います。
一方で…
この場所は4つの支流が鶴見川に流れ込む場所であり、また周囲の丘陵地から雨水が集中しやすい地形です。堰堤を作れば浸水被害が起きやすいと想像できます。
昔の人はこのような状況を「降れば洪水、晴れれば渇水」や「カエルのションベンで大水が出る」と例えていました。ただでさえ雨が降ったら浸水しやすいのだから、下麻生の農民たちが固定堰に反対する気持ちもよく分かります。
【ご参考】
公園内の河道跡
さて、広場から先へ歩いてみましょう。
恩廻公園調節池
公園西口を出たところには
恩廻公園調節池管理棟があります。(写真を撮り忘れたらGoogle頼み)
昔から「暴れ川」として常に水害に悩まされ続けた鶴見川の洪水対策として、計画から完成まで10年の長期事業により、鶴見川と麻生川の合流点上流に恩廻公園調節池を建設。
公園地下に設置されたトンネルに水を一時的に貯留することで、鶴見川を時間60ミリの大雨から守ります。新幹線のトンネルよりも大きな構造で、2008年8月には全容の1/3まで流入の実績があります。
管理棟1階には、恩廻公園調節池の構造、鶴見川の自然を紹介する展示室があり、パネル、ビデオや模型を使ってわかりやすく説明しています。
また、天気が良ければ、貯水池や親水エリアで遊ぶこともできるそうです。
調節池の仕組み
増水時には、川に面した越流堤から地下トンネルに水が流れ込みます。
詳しい解説は、下の動画をご覧ください。
謎のキャラクターと職員さんの掛け合いがシュールです。
実は映画の聖地
恩廻公園調節池は、最近映画のロケ地としても活躍中です。
「翔んで埼玉」のラストシーンに登場した地下神殿は「首都圏外郭放水路」(春日部市)ですが、その直前にGACKTさんと二階堂ふみさんが地下に降りて、大衆の前に登場するシーンで使用されていました。