見出し画像

これからみんな、新しい名前になっていく

少し前に5歳の娘が、「ねぇねぇ娘ちゃんさぁ、髪の毛屋さんにもなりたいし、マッサージ屋さんにもなりたいし、ケーキ屋さんにもなりたいんだよねぇ。どれにしたらいいと思う?」と、聞いてきたことがあった。

そう言えばいつだったか6歳の息子も「生きものの研究をして、カメラマンもして、工作も作ってる人っているの?」って聞いてきたことがあった。

どこから、「1つに決めないといけない」という考えを得てきたのかは分からないけれど、大人になった今でも悩むテーマだ。そりゃあ決められないよなぁと思う。(笑)

「大きくなったら何になりたい?」というお決まりの質問に答えるには、その〝何〟を的確に説明できる言葉が必要になるなぁと思う。

その言葉は職業名、業種などのカテゴリーになるからどうしてもそこに当てはまりそうなものから選ぶようになるし、そうすると本当にやりたかったこととズレが生じてくる場合もある気がする。



私は子ども達の質問にいつも、「ひとつに絞らなくてもいいんだよ〜全部できるよ〜全部やっていいんだよ〜」と返す。(あと、大人になるまで待たなくても今すぐできるよ〜とも言う。笑)

「かかは絵も描くし、詩も書くし、文章も書くし、研究もするし、写真も撮るし、もの作りもするし、お喋りだってするよ〜!」と言って笑うのだけど、結局のところ私がやっているのは、〝今、自分が感じていることを様々な形で表現する。〟ということだろう。それに私は悦びを感じるのだ。

そういう見方をすると、娘は〝自分を含むみんなを気分よくしてあげる〟ことに悦びを感じるのかもしれないし、息子は〝興味のあるものを深く知って、それを人に伝える〟ことに悦びを感じるのかもしれない。



そう思うと、確かに娘はテレビで見たり、誰かがやっているものを見ていると、おもむろに取り入れニコニコ嬉しそうにしている。それが息子には真似されて嫌だ!と言われることもあるのだけれど、娘からしたら、なんか気分が上がるものに心が惹かれているのかもしれない。

息子は、とにかく知的好奇心のままに様々なことを知りたがる。「なんで?なんで?」と、自分でも調べ、質問も沢山する。そしてそれを元に忠実に図鑑や工作を作りたがり、人に説明したがる。

ここが私と違うところ。私は自分の感じたことや自分の解釈を表現するけれど、息子は忠実に作ろうとするし、調べた事実を大切にする。

これを書いていると、塗り絵をしている時に私がよく言う「もっと自由に、自分の好きな色で塗っていいんだよ〜!」という言葉がいかに息子には的外れかが分かってきて、少し申し訳ない気持ちになってきた。(笑)

もちろん今の段階ではまだまだ分からないので、決めつけることはしないけれど、子ども達を見つめ理解する時のひとつの要素にはなる気がする。



こんな風に見てみると、職業名や職種、様々なカテゴリーでは言い表せられない部分がやっぱりあるなぁと思えてくるし、その中からどれか一つの言葉を選ぶこともそりゃあ難しいやと思えてくる。

私は、これから世界がどんどん変わっていく中で、様々な〝名前•カテゴリー〟が無くなり、新しいものが生まれていくと思っていて、今はその入れ替わりの時期だと思っている。

それこそ子ども達が大きくなった頃には、どんな名前•カテゴリーが生まれているだろうか?どんなカテゴライズの仕方があるのだろうか?と愉しみで仕方ない。





#紡ぐ日々  

⁡/ 𝟤𝟢𝟤𝟥𝟣𝟢𝟥𝟢


ことごと紡ぐ、






・・・

いいなと思ったら応援しよう!