プラチナエンド。生と死。
「人は誰しも幸せになるために生まれ、
人は誰しもより幸せになるために生きている。
そして自分が幸せでなければ人の幸せを素直に喜べない。逆に皆が幸せでなければ自分だけ幸せでも素直に喜べない」
作中で主人公、明日の母親が大切にしていたことである。
同時に物語の軸になっている。
しかし、幸せになる“ため”に人は生きるのだろうか。
幸福論であり、それは同時に目的論ではないか。
幸せになるという目的がないといけないのだろうか。
目的なんかなくてただ生きてても良いではないか。
天使も悪魔も自分の心が作り出す。
ナッセと明日の会話で、翼や矢を使って何かを盗むとか、心をコントロールするとか言うけれど、それ自体には善とか悪とかはないのかも。
ただ私たちがそう決めているだけで。
明日の言う「普通の幸せ」
それ自体みんな違う。
それでいいし、普通なんてないと知り、お互いに関わり合いたい。
天使自体も感情があって、仕組みの中で自分にはできないとか損得勘定で動いている。
でも、ナッセはただ明日のことを幸せにことだけ考えてる。
アニメ6話の途中まで観て、
死にたい、何かに強い思いがある人は、
力を持ったら強くありたい、と思うだろう。
いや、死にたいと普段思ってない人でもそうかもしれない。人は力に弱い。それは力で動かされる経験、力の必要性を感じて生きてきたからだ。