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深い深い青に魅せられて(長野県立美術館にて)

ゴールデンウィーク、街はいつもより行き交う車の数が少なく、のんびりとした雰囲気が漂っている。反面、東京駅はものすごい数の人が行ったり来たりしていた。

みなトランクや大きな荷物を抱えて改札口を通っていくけれど、私は小さな鞄一つ、一人で新幹線のホームへ向かう。

このタイミングで新幹線のチケットを取っておいて良かった、と思う。今後のキャリアやプライベートのことなど、ゆっくりと一人で考えたいことがたくさんあった。

人と話すことで解決策が見えてくることもあれば、一人でゆっくりと考えて答えが出てくることもある。

社会人になるときに読んでいた本の中で「運はスピード。悩みがあるときは新幹線にでも乗ってしまえばいいのです」といった文章が書いてあったことをなぜだかずっと覚えていて、何だか気持ちが淀んでいるなぁ、というときは大抵ちょっと小旅行を兼ねて新幹線によく乗っていた。

大好きな白石一文さんの小説「私という運命について」の中でも、主人公がショッキングな出来事があったときに会社を休み、新幹線に乗って自分の今後の人生についてゆっくりと考えるシーンがある。

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長野行きの新幹線に乗るのは何年ぶりだろうか。窓の外でどんどんと移り変わっていいく景色は心地よい。文庫本をパラパラとめくっているうちに、軽井沢でほとんどの人が降りていき、終点の長野駅で私は降りた。

東京を出るときは暑いくらいの気候だったのに、肌寒いくらいの気候で驚く。慌ててトレンチコートを羽織り、長野出身の友人に「長野は寒いね」とメッセージを打った。

今回は、リニューアルされた長野県立美術館で東山魁夷の絵を見ようと決めていた。バスの時間が合わなかったので、長野電鉄に乗り換え、善光寺下駅から少し歩く。周囲の山を見渡しながら坂を上っていくと、城山公園の綺麗な景色が広がっており、思わずベンチに腰掛けてしばらくぼうっとしてしまった。

このベンチからの眺めが綺麗だった


ベンチから見た長野の景色
鮮やかな鳥居の色

緑豊かな新緑と、鳥居の朱色が鮮やかだった。誰もいない空間で、大きく深呼吸をした。

ほどなくして見えてきた長野県立美術館はとても美しい建築だった。美術館にいながら長野の山々を眺めることができる、「自然と一体にある美術館」である。


長野県立美術館


長野の山々が見える

東山魁夷館を見るつもりで来たのだけれど、企画展もやっているとのことで、共通券を購入した。ほとんど何の企画展がやっているかも知らずに、企画展の展示会場に入ったところ、見覚えがある名前が目に入ってあっと驚いた。

そこには、ガラスアーティストの青木美歌さんの作品が展示されていた。

青木美歌さんの個展での展示

数年前に銀座で開催されていた個展で作品を拝見し、その美しさに圧倒されたアーティストである。先日、昨年青木美歌さんが亡くなられていたことを知り、悲しい気持ちになりながら長野行きの新幹線を予約していたところだった。

会場内には、以前見たときと変わらず、青木さんの、不思議なきらめきを放つ作品が飾られていた。

「何かを残すことができるって良いよね」

先日会った友人が何度も言っていた言葉だ。彼女も私も長年音楽をやっていたので、どんなに練習をしても美しい音楽は一瞬で終わってしまうという音楽の刹那的な面をよく理解している。

私も彼女も、アートを見ることは好きだけれど特に絵を描いたり、作品にしたりはしていないので、展示を見ながらよくそんな話をしていた。

そう、青木さんの作品は何も変わらずに、あのときの美しさをそのままにその会場に展示されていて、そのことがとても私を勇気づけた。この作品はずっと、これからも誰かの心に響き続けるだろう。

水面がきらきらしていた

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私が初めて東山魁夷の作品を見たのは、茨城県近代美術館での展示である。なぜそのときにその展示を見に行ったのかはさっぱり思い出すことができないのだけれど、おそらく偕楽園の梅を見るついでに同級生と寄ったのだと思う。


茨城県近代美術館での東山魁夷展

そこで見た東山魁夷の圧倒的な青に魅せられ、それ以来東山魁夷の展示があれば京都に行ったり東京で見たりと、ずっと心の中にある作品の一つである。

私が初めて信州へ旅したのは、今から64年前の大正15年夏のことでした。当時、東京美術学校日本画科の一年生だった私は、友人三人と木曽川沿いに天幕を背負って、10日間の徒歩旅行をし、御嶽へ登りました。横浜で生まれ神戸で少年期を過した私は、初めて接した山国の自然の厳しさに強い感動を受けると共に、そこに住む素朴な人々の心の温かさに触れることが出来たのです。ー私もこの月明の静かな山峡の眺めは、全く都会の公園では味わえない素晴らしいものだと思いました。夜の大気は澄み切っていて、涼風が爽やかに吹き渡っていました。

この旅はその時は気付きませんでしたが、私に大きな影響を与えたものであることが、ずっと後になりわかったのです。それ以来、山国へよく旅をするようになり、信濃路の自然を描くことが多くなりました。そして、風景画家として一筋の道を歩いてきました。

東山魁夷

いつか東山魁夷の絵を長野で見たいと思い続けてもうだいぶ経ってしまった。東山魁夷館の中に足を踏み入れると、しんと静まりかえった空気の中に≪緑響く≫と≪夕星(絶筆)≫が飾られていた。

《緑響く》東山魁夷記念一般社団法人HPより

5年ほど前に、東京・六本木の国立新美術館で開催された東山魁夷展で見た以来の再会だった。

展示の最後に、遺作である≪夕星(絶筆)≫が飾られており、その絵から私は目が離せなくなってしまった。

《夕星(絶筆)》東山魁夷記念一般社団法人HPより

これはどこの風景と云うのものではない。そして誰も知らない場所で、実は私も行ったことが無い。つまり私が夢の中で見た景色である。

  私は今迄ずいぶん多くの国々を旅し、写生をしてきた。しかし、或る晩に見た夢の中の、この風景がなぜか忘れられない。

  たぶん、もう旅に出ることは無理な我が身には、ここが最後の憩いの場になるのではとの感を胸に秘めながら筆を進めている。

東山魁夷

星がきらりと一つ夜空に光っているのに、水面には映っていない、4本の木がまるで家族のように並んでいる東山魁夷が夢の中で見たという景色。この深い深い青を前に私は呆然と魅入っていた。この絵を長野で見ることができて良かったと思った。

ちょうど私が長野に旅をしている頃、幼馴染は香川にある香川県立東山魁夷せとうち美術館に行くという。お互い旅をしているね、と笑ってしまった。いつか香川も行ってみたいし、千葉県市川市にある市川市東山魁夷記念館にも行ってみたい。

東山魁夷をめぐる旅は、まだまだ続きそうだ。

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「何かを残すことができるって良いよね」という友達の言葉が心に残っていた。さて、私は何か残すことができているんだろうか。絵を描くこともできなければ、写真や料理の趣味もない、と考えたときに友人から「文章を残すことができているじゃん!」と意外な言葉が返ってきた。

そうか、私には言葉があり、文章があった。ただ好きなことや思ったことをただ書いているだけだったけれど、それでも私がこうして友人の何気ない言葉に救われているように、いつか誰かの心に少し寄り添うことができたらいいな、と思い今日も書く。





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