自分を忘れる

他者ばかりに意識が向いていたこれまでの人生

    


自分ばかりに意識が向いていたここ数年

  


結局どちらも見失った

  


他者への想いを寄せる気持ちも

  


自分を知るために自分に寄り添うことも

  

というか

  



そもそも


自分に寄り添うとはなんだ

  



自分は自分だ


  



「自分とは何だ」

  

  


とか

  

  

「自分を知らないから」


とか


「自分の気持ちを大切に」

  

とか

  

そこに

意識を向けすぎると

  

意識が収縮する

  

  


結果

自分を見失う

  

  

  


拡大して

  

視野を広くみたら

  

その中での自分が見えてくる

  

  



人により

  

「自分」のトリセツの知り方

得手不得手や

  

違いがある

  

のではないか

  

  

敢えて時間を作り掘り起こさなくてもいい

  

その瞬間瞬間に

感じたことに気づけばいい

  

その時に

「で、どうしたいの?」

  

  

ただ、

瞬発力

  

ただ

筋力

  

この習慣がついていないと

  

更には

他者が絡んでいる状況だと

  

  

「で?どうしたいの?」に

  

気が付き辛い

  

  

出てきても行動するまでの判断・脚力がない

  

  

だから

  

日頃から

  

「で?どうしたいの?」

  

  

  

でも

  

そこで

  

自分は

  

どうなんだろう?

  

どうなんだろう?

  

自分はどっちなんだろう?

    

  


やってると

  

  

モグラを叩こうとして

  

ずっと

モグラの穴を覗いている状態

  

  


結局何も得られない


  

  

そうではなく

  

  

俯瞰して

  

全体をみて

  

全体がぼんやり視界に入るようにする

    

モグラの動きを見るように

  

  

  


そうしていることで

  

自分が全体の一部の中の

  

どう在れているのか

  

どう在りたいのか

  

何ができるのか

  

何をしてあげたいのか

  

  

わかるのではないか

  

  

「自分を忘れる」


今日知った言葉だ

  

  

一旦 

自分を忘れる

  

自分というものを

  

全体に溶かして

  

全体を感じるようにする

  

その方が

  

視界が良好ではないか

  

  

  

自分を忘れる

  

そうすると

  

逆説的に

  

自分が見えてくる気がする

  

  

自分の在り方が見えてくる気がする

  

  

  

まだ

  

  

気がするだけだ

  

でも

  

少なくても

  

  

気持ちの視界は良好だ


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