リストカットは自慰に似ている
日常生活に耐えられなくなってリストカットをした。
死にたいわけでは1ミリもなくて。ただ、心と体が離れてよくわからなくなってしまって。
錆びたカッターで小さく、小心者らしく小さく傷をつけた。
ネットで見るような大きな傷じゃない。手首でもない。それでも、私にとっては十分なリストカットだった。
切ると、痛かった。痛くて、ドキドキして、
そして、酷く安心した。
脳が痛いくらいに痺れて、それでも今の辛い気持ちを消すには十分だった。しかし、冷静になると残るのは自己嫌悪感だけで。惨めだと思った。
そんな話を友人に話したら彼は、こんなことを言った。
「それってなんだか自慰に似てるよな。」
確かにそうかもしれないと思った。快楽欲しさにやるその行為は自慰となんら変わりなかった。その言葉に私は妙に納得してしまって。でも似て非なるものだと思った。だって、自慰はリストカットの代わりになり得ないのだから。
私は、これから先リストカットがやめられるかわからない。傷の残った腕は戒めとして機能してくれるだろうか。