右利き世界で生きる
私は左利きである。何をするにも左手で、それは今も変わらない。気づかないようで世の中は右利き用にできているらしい。
そうは言っても現在に至るまで左利きが当たり前で生きてきたものだから「それが当たり前」だった。小学生のときに習字の授業で右手で書けと言われ慣れない筆と墨汁でへったくそな字を書いていた。本当の私の字じゃない字で教室に飾られている習字の文字が嫌だった。しかし高学年になる頃にはどういうわけか直されることがなくなった。
「右利きが正しい」とでも言わんばかりに話してくる人間が死ぬほど嫌いだった。右利きで生まれた人にわかってほしい。自分の利き手じゃないほうで書くことがどれだけ難しいか。でも右利きが便利というのも最近は少しわかる。ホワイトボードに字を書いても消えないし、ハサミなどの道具を買うにしても制限がない。他の人と作業しても手がぶつかる心配もなければ、一々作業導線だって考えなくてもいい。羨ましいと何度も思った。
でも私は左利きであることに誇りを持っているし、別に生まれ持ったものを変えようとは思わない。正直20も過ぎた今から全部変えていくのは骨の折れる作業だし、自分なりに折り合いを着けて付き合っていっているつもりだ。
でもやっぱり心ないこと言われると傷つくし、一緒に作業をしたりするときは申し訳ない気持ちになる。学生時代の現場実習で左利きのやりやすいように設置しようとしてくれてトラブルが起き、現場の方々が揉めたときや、就職先の研修で左利きであることが心配と伝えたら「じゃあ右利きに慣れよう!1つできたら他もできるよ!」(この時現場にハサミが右利き用しかなく、右手で使えるようになっていた)と言われたとき、チーフに「左利きのことはわからないからなぁ」と言われたときは悔しくて悲しくて泣きながら帰った。私だって右利きのことはわからないし、なんでみんな生まれ持ったもので生きているのに直さなきゃいけないのとか反抗心もあった。利き手というのは1番身近にある差別なんじゃないかと感じた。
大多数を占めていて、社会も右利き用にできているのはわかるしそっちに直した方が楽なのはわかる。でもやっぱり私は左利きの自分のことが好きだし、そんな自分と傷つこうとも付き合っていきたい。
どうか覚えておいてほしい。悪気がなくともその一言で忘れられない傷を負う人がいることを。