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成人の日のこと

朝起きたら雪がうっすらと積もって
凛とした空気で素敵だった。


昨日は成人の日でしたね。
新成人のみなさん、おめでとう!㊗️
(フォロワーはいません)
数少ない後輩が素敵な晴れ着に身を包んでいて、心が温かくなりました。


さて、自分のブログだから自分の話をします。


私は振袖を着ることはなく
成人式にも行きませんでした。
当時は「なんとなくこのまま行っていいのかな?」という悶々したものがあった。

振袖の予約も気づいたらもう間に合わないし
スーツで行くのはなんだかなという感じ。
そもそも、大人なんだろうか?とか。

捻くれてたり違和感があって
行きませんでした。

生徒会をしていたことから、成人式の幹部のお誘いの手紙もあったけど超無視しちゃった。笑

なんというか、成人っていう実感がなかったなあ。それでも行くものだったのかもしれないけど。

振り返ると、大学2年生は生協に追われてTinderして、いろんな人やモノに触れて、
泣いたり笑ったり一瞬一瞬を遊びまくってた!

そんな中で親に頼んでまで、
成人式に行こうと思わなかった。
加えて親からも
振袖見に行こうとかも言われなかった。

全部自分のしたいようにしなって感じ。
昔からそういう放任主義なお家なんだけど
だからこそ自分でよく考えたんだな。
自分のお金はここで使うものじゃない。と!

今思えば、
自分の節目はここじゃないって感覚的なものが私の中にあったのだと思う。

そして今日、Twitter見てたら
最果タヒさんのこの記事を読んで、「これだな」と思ったよ。

20歳が節目なのは、社会的なもので。
私にとっての節目は、私の中にあるもの。
親は私にとって、大切でかけがえの無い存在。だからこそ私の中の「節目」を見てほしいと思う。

たくさん遊んで知らない人の考えに触れて、
何が自分の好きなものなのか。
それをよく考えるようになったのは18歳。
嘘をついてまで、自分のしたいことを優先したこと。
社会にとっての良い答えを、自分の中での良い答えが必ずしも一致しないこと。
ぐちゃぐちゃとした中で、分からなかった。


社会に認められることが大人なのではなく、自分にとっての「正しさ」を知って、自分の中の見えない芯の部分を知り続けようとすることが大人だと思う。
分からないからこそ、愛そうとすること。
そんな大人になりたいと、思っていたいね。

私にとっての「節目」は大学を卒業すること。
求められた答えを出すのではなく、自分の中での答えを出し切る。

みんなもみんなにとっての節目をお祝いできますように。私も大事な人の節目を、心の底からお祝いしたいよ。

そんなことをふと考える、20歳を終えようとしているゆいごでした。

去年の成人の日、大好きな幼馴染と過ごして、好きな人と京都を歩いて!それが私にとっての当時の大切なことでした。

カネコアヤノ「愛のままを」「光の方へ」
さとうもか「old young」
羊文学「祈り」「ミルク」
中村佳穂「きっとね!」
カネヨリマサル「今を詰めこんで」

上の曲は、私の20歳をよく表した曲だと思う。迷いに迷って、なんとなく答えが見えたような見えないような。
いつか、このときを愛おしかったと思えますように。 

21歳は、自分のペースにもっと自信を持てますように。そして気持ちをもっと、なんらかの形にできますように

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