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2023/10/1


らんまんが終わった。

私は誰のことを照らせるの?って
めっちゃ不安になった。
自分のこういうところがかなり嫌い。

自分の経験や考えが誰かを救えるって
どこか傲慢になってたんやね。

つい最近、
職場で「言葉通りにしかできない人」のことの話になった。
その言葉に含まれる先のことまで察して動けないこと。

うまく伝わらないことは、受け手の特性のせいだと、自分も思ってしまうことはあるけど…。
私も「言葉通りにしかできない」ほうなんだろうなと、思った。こころはチクチクしてた。


「特性が強い」とか、「変わってる」とか、
「あの家族は」とか、よく話すけど、話すたびに、全部時間差で自分にささる。

自分の仕事が、子どもが健全に成長できるようにという目的のもとに存在するのは分かる。
うまく自分と切り離せない私が弱いのも分かる。

普通と呼ばれる暮らしから離れたところにいる子に「かわいそう」という眼差しを向けることに違和感を覚える。



ただ私は淡々と、業務を遂行すればいいのに、弱っていると、難しいね。


体操服にゼッケンをつけてもらえなかったこと
人前でお弁当を食べるのが恥ずかしかったこと
傷をうまく隠せなかったこと
相談が、できなかったこと

いま、幼い頃の自分が職場にいたなら
「かわいそう」な児童なんだろうけど
その時の私に何ができたかな、と思うと
言葉はでてこない。

ただ、かわいそうとは絶妙に思われたくなかった。

私は誰かを照らせるのかな。

まず、太陽のひかりが当たるところに、自分の足で行かなきゃいけない。

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