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最近”あの人”に「ありがとう」伝えましたか?@私のできればいいな


どうも、タイトルを変えて、自分のワクワク(自分のやりたいこと)を語ろうとする、じーもです。気になった方は、他の記事もご覧ください。(あ、まだ逃げないで。笑)

拝啓 お元気ですか?

みなさん、元気に過ごせていますか?仕事で失敗して自分を責めたり。上司に怒られて落ち込んだり。学校で先生に怒られたり、つい口から出た言葉から後には戻れず友達と気まずい雰囲気になってしまったり。育児で子どもが思うようにしてくれなかったり、そこで怒ってしまって、そんな自分を後になって責めてしまったり。大切な人のはずなのに、つい家族にイライラして当たってしまったり。

生きるって、けっこう大変ですよね。周りの人から見ると、「そんなことで」って言われるようなことが、本人には一番つらいと思うんです。もちろん、振り返ってみれば、自分の成長や気付きになってることはありますけど。現在進行形の場合は、わからないもんなんですよ、きっと。

しかもたちが悪いのは、まじめで他人に誠実にあろうとする人ほど自分を責めてしまうことです。自分を責めてしまうのって、まあーしんどい。だって、他人は気に入らなければ離れればいいですけど(それができなくてしんどい場合もありますけどね。)、自分はどう頑張っても離れられないですからね。自分が自分を否定しちゃうとね、生きるって何だろうって思っちゃうんですよ。

まあ、そこまででもないにしろ、何かしら自分を追い詰めてる人って案外いるんじゃないかと思うんですよね。しかもだいたい、自分に向く人は他の人には向きにくい。つまり、他人には強く言わないような人がストレスをため込んで、他人に好き勝手言う人の方が、いつもスッキリした表情してる。でも、もちろん、本当に充実した顔をする人はいます。きっとそれは、その人の中で何かに気付いて、自分で決めたんだと思います。認めてるんだと思います。いいことも悪いことも。

でね、今回話したいのは、そんな風に自分に余裕がないとき。忙しいとき。あなたは、誰かに心から「ありがとう」言えてますか?っていう話です。

気付かない”自分”といつもそばにいる”あの人”

もちろん、本当は、一番に自分にありがとうって言ってほしいんです。それは譲れないところ。そして、それができると、きっとあなたの周りの”あの人”に「ありがとう」って言いたくなると思うんです。あなたの周りを見渡してください。きっとそこには、誰かがいると思うんです。どうしてもいないと思った人は、一回目をつぶって、もいっかい考えてください。それでも…な人は、次の場合も考えてみてくださいね。(この後の章のことです。)

あなたのそばにいる人、思い浮かびました?まずはね、きっと。そばにいる”あの人”があなたのことを想ってくれているんですよ。でも、自分に余裕がないとき、忙しいときって、見落としちゃうんです。近すぎて。

私の場合は、相方(パートナー)です。いつも当たり前のように、自分の好きなことをしていたり、頼みごとをしていたり。ご飯を作ってもらったり、掃除や洗濯をしてもらったり。普段は気付かないけど、ふとした瞬間にハッと気づくことがあるんです。「あ、これは自分のためを想ってしてくれたことなんだ。」って。

そんなことないよ、私はしてあげてばっかりだ、って思った方。それはもしかして、相手も余裕がなくて気付けなくなっているだけかもしれません。心の底で、相手が何を想っているのかはわかりません。でも、現在、あなたのそばに”あの人”がいるということは、きっと、何か意味があるのではないでしょうか。

あなたは最近いつ、そばにいる”あの人”に心から「ありがとう」と言いましたか?

気付けない”自分”と遠くで想ってくれる”あの人”

もう一つのパターンは、近くに”あの人”がいないときです。実は、それってそれだけでいつの間にかストレスをためていることもあると思うんです。最近、実家にはいきましたか?学生時代、共に笑って、共に泣いた友人に会いましたか?近くにいれば気付くことも、遠くにいたり、なかなか会えない状況だと気付けないことってたくさんあると思うんです。

久しぶりに会った”あの人”がいつも元気かどうかはわかりません。

私の高校の頃の友人に、共に部活で青春を過ごした仲間がいます。彼とは、普段けんかをすることもありましたが、的確に判断ができ、時にふざけて周りを和ませるよき友人の一人でした。高校生最後の大会では彼に励まされ、これまでの自分を責めずにほめてあげることができました。そんな彼は、大学生のころ、亡くなりました。

正直言って、「え?」です。わからないんです。どういうことか。お葬式にも行きました。彼の姿も見送りました。そこにはかつての仲間も来ていました。でも、彼はいません。お葬式が終わってからも、ピンときません。実感がないんです。きっと、そのうち、また飲み会で会えるだろう。そう思っていました。でも、彼はもういません。

そこまでのことがなくても、自分にとって大切な”あの人”がいつも元気な保証はないんです。もちろん自分だってそう。”あの人”にとって「あなた」は大切な人です。

”ありがとう”を届けるお手伝い

忙しかったり、自分に余裕がないときって、そんなこと考えません。考えても、まあ、きっと大丈夫だろう。ってなると思うんです。でも、伝えるのは早い方がいいです。きっと。

つらいことが起きる前に「ありがとう」を。それだけじゃなくても、”あの人”のことを想うだけでも、全然違うと思います。

そのきっかけが、私にもできればいいなって思うんです。できれば会って話を聞きたいですけど、電話やメッセージのやり取りでもいいと思ってます。何か自分もできないかなあ。近々、報告します。

補助輪になりたくて

補助輪ってあるじゃないですか。自分のテーマにもなると思っていて。自己紹介にも書いたので、よければそちらもどうぞ。(おい、こらこら笑)

補助輪はすごいです。あれだけ、がんばる人(乗る人)を応援して、安心感を与えて、寄り添える。自分はいずれ外される運命なのに。

自分の場合は、すべてを支えることがいいとは思っていません。その人が自分で立てるように(補助輪を外せるように)することが大切だと思います。冷たく聞こえるかもしれませんが、その人の近くにずっといられるわけじゃないですから。

これは家族にも言ってます。「自分がそばにいるときはどうにかできるけど、いつも自分がそばにいられるわけじゃない。」それは、自分にも言えることです。いつまでも一緒に、いつでも一緒にいられるわけじゃない。だからこそ、一緒に過ごせる時間を大切にしたいですね。そうすればなんだかやさしい世界になりそうな気がします。

最後に。

いろいろ言ってきましたが、私自身、書いていてドキッとすることがたくさんあります。まだまだ、自分や家族、大切な人に甘えているな、という印象です。心からの「ありがとう」伝えます。

以上。今回はすこ~しまじめな感じで書いてみました。(とか言ってますけど、内容はいつでもまじめです!)いつも読んでくださっている方、初めて読んでくださった方、ここだけ読んでくださった方、ありがとうございます。よければ、また、お会いしましょう。では。

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