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戦争反対って言うのダサい


戦争反対です。私みたいな世間知らずでも。

戦争反対って言う意味や、
わたしたちが戦争を反対する意味、
なにも出来ないし知らないのに「戦争反対」って言うことがダサいみたいな気持ち、(ちょっと私も引け目を感じてしまうけど)

そういう事を少しでも考えている人に、何か感じてもらえたらいいなと思って書きます。

わたしみたいな、歴史の勉強不足かつ自分のことを加害者だと思って安心しているような人間だからこそ、戦争反対って言う意味について、誰かに届けばいいなと思って書きます。


数年前、広島に行く用事があり、なんとなく原爆ドーム(広島平和記念資料館)に行ったけど、追体験なんて軽々しくできないほど頭にハテナが浮かぶばかりだった。

コロナ前だったからたくさん外国の方がいて、日本人もいて、笑ってる人もいて、スタッフさんは親切で、私はこの館内でなにを思っていいのかわからなかった。

ただ、自分の精神にいっぱいいっぱいで、所詮小卒のような私は、この世に戦争、歴史、政治があることを始めて認識した気持ちになったことに安心したことだけはハッキリと覚えている。

その安心がなんだったのかは今は必要ないので語らない。


負傷者や原子爆弾での後遺症者の方の写真、ただれ焼けている水筒や服、自転車などが物語るものとして置いてあり、戦争のおぞましさや核爆弾の被害を伝えていた。

むごい、とか、戦争ってやだな、とか、思ったけど、その感情の先に戦争や歴史、政治について知らなければいけないと思って、しかも色んな側面から見なければ意味が無いと思い、色々な資料を集め始めた。

でも、真実だと腐るほど吐かれている世の中から、未だになにを思えばいいのかわからない。

全然わかんない。未だに。

左右に偏ることは簡単だしそれは強い意志となり発言の自信になるのかもしれないけれど、戦争を考えるきっかけが広島だっただけで、未だにマジで大声で「戦争反対」って何を持って言えばいいのかと気持ち悪いです。


もちろん勉強不足、足りない、知ろうとすればするほど知らないことばかりで検索ワードが増える。


自分を正義と思ったら正義で、生きてたら正義で、勝った方が正義で、立ち回りが上手いほうが正義で、世論を認めさせることが正義で、命を捧げることが正義で、戦争に反対することが正義で、知ることが正義で、守ること、何を?でも守ることが正義で。いつもわからない。

その正義ひとつ、嫌だと思ったらまた正義が産まれる。

早くすっ飛ばしておばあちゃんになって許された状況でしにたいような私が言うのもなんですけど、

戦争に行くのやだよね。日本が戦場になるの嫌だよね。好きな人が死ぬのも、好きな人のライブ見れなくなるのもメシ食えなくなるのも嫌だな、私は。

今全部、他の国で起こってることは私たちの国でも起こりうるってことです。


だから戦争はクソ、「戦争反対」なんて事は誰にでも言える。1ミリでもそう思うならそう言える。

わたしは綺麗事言えないから、自分がその立場になりたくないから嫌だと言います。嫌です。戦争。


何が正義かなんて知らなくても、歴史の真実なんて人の数ほどある中から引っ張ってきてるわけだから正確にはわからないけど、それでも戦争反対って言える。

正直、子ども産まないし自分が死んだ後の世界のことなんてどうだっていいし、世界がこんなに気持ち悪いなんてことは非常に前からわかっててゲボ吐きそうだからこれ以上やめてくれ。これ以上、絶望させないでほしいからやめてくれ。だから戦争反対。

戦争が起こると扮別がだんだんと麻痺、狂ってきて、今戦争反対って思っている自我すら失われるほどに、失わなきゃいけないほどに、気づいたら自分も銃握ってたりするんだと思う。

だってそんなのたくさん見てきたでしょ。クラスのカースト、グループのハブ、職場の媚びへつらい、蹴落とし、インターネットで燃やして容易い命。それだって全て銃で、いつのまにか握っていたことがあるでしょう。握っている人を見たでしょう。自分に向けたこともあるでしょう。

だから、私たちは戦争反対って言える。


そこら中に散らばっている戦争が嫌なら、2014年から、いやそれ以前から、世界に放置され今回に至ったウクライナとロシアの戦争にも、戦争反対って言える。

現代の戦争がこわくて知りたくなくて、目を瞑ってきて、わたしはずっと第二次世界大戦に篭ってきた。

でも、言わないなら、賛成になっちゃう。
投票に行かないなら、賛成になっちゃう。
少しでも知ろうとしないなら、賛成になっちゃう。

数、数、数、数

結局数なのか、多数決なのか

でも、その多数決にうんざりして絶望したとしても、嫌なことは嫌って言った先に、ひとり声をあげた先に、また誰かが声をあげやすくなって、そのまた先の誰かが何かを行動したりして、それが巡り巡って自分の行動になったりする。


もう絶望を引ったくりに合うみたいな気分だろうとなんだろうと、矛盾してようと、嫌なものは嫌だから戦争反対って言えるよ。

力なくて、発言力もなくて、歴史にも疎くて、行動もできないような自分でも、戦争反対って言うだけで、その歯車に引っかかれる。

だから言う。戦争反対。


1945年に一応終結とされた第二次世界大戦だって、最初は世界大戦じゃなかった。


いきなり、世界大戦始まります!ってならない、色んな国や色んな戦争が絡み合って、いつのまにか世界が戦場になった。

戦死だけじゃなく、国家予算が軍資金で消えて餓死者が大勢になったり、簡単に虐殺がおこなわれ、知的探究心の遊びみたいに人体実験がおこなわれたりしてきた。
生きたまま、麻酔もなく、生き残った当事者は全てを語ることができないほどの人体実験。

FPSゲームみたいな気持ちでいられる人が正常で、命を考える人が異常者になる。

ただ今まで日本で平和ボケとか言われるみたいに生きてきてるだけでも地獄なのに、自分の運んできた地獄を簡単に塗り替えられてたまるか。だから戦争反対。


ウクライナにもロシアにも住んでる人がいて、国家と住んでる人の意向はイコールじゃないし、私たちが目にしているニュースのどれが本当かなんてわからない。

悪を決めなきゃいけなくなる、悪を思うことがクソだ。悪を思うってことは自分も悪になった気持ちになる。胸糞悪い。だから戦争反対って言う。

戦争反対。戦争反対。戦争反対。

簡単に戦争反対って言おう。
その後に、ニュースとか見ればいい。

どっちが正義とか、真実は何とかは後でいいしそんなんあるのか私にはわからん。でも、どんな理由があっても戦争は反対。

たしか、「暮らしの記録」という、戦争体験者の方々の記憶を綴った文章をまとめている本だったと思う。

何かにヘイトを向かせたいわけではないし、この記録も事実と100パーセント信じることは、全てにおいて危険。

(記述した方の名前も本当は載っており疑っているわけではないし、戦争体験を語ってくださっている方に感謝してます。でも情報を鵜呑みにするのが1番怖いことだから。)


でも、例えば上記のようなことが本当にあったとして、
寿司、天ぷら、鰻、トンカツ、カレーライス、食ってる事を驚愕するような生活になりたくない。なってほしくない人がいる。

全部巡り巡ってくるから、

戦争反対。
戦争反対です。

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