「93歳になっても悩みは尽きない。」
私の祖父は長らくの間、学校の教員として働いていました。
教頭先生を勤め上げるなど、誠実で勤勉で真面目な人です。
祖父の妻にあたる祖母は私が中学3年生になった春、
突然の交通事故で寝たきりとなり、それから数年後に亡くなりました。
祖母も英語教員として活躍していた人で、とっても活発で健康志向で。
私の趣味嗜好にかなり影響を与えた人でした。
家のことはすべてそんな祖母に任せているように見えたので、
祖母が亡くなった後、大きな家でひとりきりになった祖父が
私はとても心配でした。
ご飯は作れるのだろうか。ちゃんと食べれるのだろうか。。。
自分の祖父や父親で想像してみてください。
どんな暮らしを想像しますか???
私の祖父はというと、
めっちゃちゃんとしてたんです!笑
家はいつもきれいできちんとしていて、
キムチを漬けてみたんだ、白菜を漬けてみたんだ、と
当たり前かのように振舞ってくれる祖父。
もう、びっくりですよね。
また、祖父は多趣味で、「中国語」「太極拳」「水泳」など
90歳を過ぎても好きなことをずっとやり続けていました。
その姿はとても頼もしくて、こんなふうに年を取りたいなと私も思いました。
ただ、判断能力・身体能力は当たり前に衰えていますし、
1度手術をしていてかなり身体が華奢な人なので心配は尽きないですが。
例えば、車の運転とか。。。
太極拳を習うのだって、水泳に行くのだって車がどうしたって必要で。
毎度送り迎えをするわけにも行かないし、それを奪うことって
楽しみを奪うようなもので。
(田舎の課題って多い。。。)
社会の課題については今はさておき、
昔から私は祖父が好きでした。
祖母や両親、家族みんな大事ですけど、祖父だけは少しだけ特別でした。
学生時代、私は本当にお勉強が身にならなかったタイプで。
得意科目は体育、音楽、道徳、仏教。(美術や図工もだめ。笑)
肩書きや学歴、周りからの見られ方を気にする親族が多かったので
口にはしないけど、進学先や学歴にがっかりされていることには
気づいていました。
あえてそういう話題を避けたり、そもそもに私自身に関心が薄れたり。
テストの結果が良くても、そもそものレベルが低いから
まあ、当たり前でしょうとそんな扱い。
悪い記憶ってどんどん忘れるタイプだから平気だけど、
冷静に思い返すとちょっとひどい扱いされてたな。。。
そんな中で、祖父だけは違った。
私の高校の行事や所属していたバスケのチームなんかが
新聞に載ると切り取ってファイリングしておいてくれて、
祖父の家に遊びに行ったときに嬉しそうに見せてくれるんです。
優勝するでもない、私が特に活躍した何かでもないけれど
良かったね、〇〇さんの学校すごいね、って言ってくれました。
そんな感じで親に対してかなり反抗的、閉鎖的だった思春期も、
祖父だけは「私」として、私を見てくれていて、
唯一の味方だと、心の支えにしていました。
私にとってそんな存在の祖父。
今年に入ってからというもの、少し気持ちに変化があったようなのです。
気になることがあると眠れない、解決するまで気が済まない、
なんてことはお年寄りあるあるなのかもしれませんが、そんな出来事がしょっちゅうで。
娘である母や叔母も、対応に追われていました。
母は東京のこの家によく泊まりに来てくれるんですが、
ちょうどその夜のこと。祖父から電話がかかってきました。
深夜2時の出来事です。
いつもより呂律が回っていないながらも一生懸命話す祖父の声が聞こえます。
「もう93にもなって、このまま生きてていいんだろうか。
いなくなった方がみんなにも迷惑をかけないんじゃないかなと思ったり、
近所でもいろいろ助けてもらうことがあるけど、
みんな迷惑がってるんじゃないかな。
いつまで生きてるんだってみんな思ってるんじゃないかな。」
そう話すのです。
私は静かに横で話を聞いていて溢れる涙が止まりませんでした。
衝撃的だったし、悲しくて、切なかった。
そんなことないよ。迷惑なんかじゃないよ。そんなこと言わないで。
となだめる母の横で一緒に頷きながら、たくさん泣きました。
あの時のことを思い出すと今でも涙が出てきます。
93歳生きてきたの祖父にだって悩みはある。
当たり前のことにわたし改めて気づいて。
あー人生って悩み続けるものなんだろうな。
28歳の私に悩みがあることなんて、28年しか生きていないから
そんなのはきっと当たり前の話で。
重たくて大変で持っていたくないからと突き放さずに
きちんと悩みながら、向き合いながら、時には手放す勇気をもって
限られた人生、楽しく生きていこ。
そう思った出来事でした。
これからも、家族や周りの人たちを大切にします。
そして、おじいちゃん!!!長生きしてね!!!!!
終わり