夢もしますが、アニメとても良かったです。(ネタバレ注意。)だからどうして?キョトン?ちょっとぼやくのですみません。
私は夢もしていますが、あのモブ女性に場所を変わってとか思いもしないです。お上品でしょ。(謎のマウント、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。)もちろんそう思う人がいてもいいと思います。
言いたいことはそれではなく、あのモブ女性とのシーンは伊黒さんは女性が苦手でも命を救う為にはそこは躊躇しない、男女ではなく人間として人を見ていると言う表現だと思うのです。自分の苦手さえ乗り越えている。そこが格好いい。そんな伊黒さんが好き。
伊黒さんはどんな命だって失うのは見たくないのです。もしアニオリで表現されなかったとしても、そんな場面は何回もあったはずです。
モブ女性の存在が、甘露寺さんの手前あり得ないみたいな意見を見たのでびっくりしました。言いにくいですが、命を救い鬼を追う戦闘シーンにそう言う形で怒っているって恋愛脳で見ているのですか? そんな事、私は思いもしなかった。
その状況は女性を抱えて助けると言う表現であって、確かに形としては同じですが、戦闘シーンにおいてお姫様抱っこと言う表現にはなりません。使いたくない。ふさわしくない。
甘露寺さんは鬼殺に命を賭す伊黒さんを尊敬すると思うから、あのシーンがあっても伊黒さんを更に尊敬する以外無いと思うのです。だから何故あり得ないと思うのか。甘露寺さんにも失礼な気がしました。どうして?キョトン🤔
アニメにおけるひそかな視聴者向け萌えサービス、そんな一面もあるかもしれませんね。でも、それを私のように別にサービスと思わない人もいる。(尊さへのサービスの一つではありましたが。)だからそれを行き過ぎない範囲でムフフするのは微笑ましいと思いますが、密かなのでサービスとは思わないのも一般的だと思うのです。(それに、伊黒さんがトラウマを乗り越えた事を表現するという意味でモブは大人の女性という形にしたかもしれないのです。違うかもしれませんが。)
それをとやかく言うのは恋愛的な萌えにその人自身がこだわっているに過ぎないと思うのです。それにアニメも本当に表現したい事は格好良さや尊さのはずです。その本質を見誤りたくない。何故それでおばみつが汚される事になるのか。
アニメはアニメ。原作のおばみつの尊さは揺らぐ事なく輝いて私の中にあるのに。
確かにアニメにはこれまでも突っ込みたい所は幾つかありましたよ。でもこんな風に全部私の中で整理され、腑に落ちていきます。基本、何でも好きな雑食という一面はありますが。
それに、私は夢を書きますが、書き続けていくうちに自分の世界が出来て、夢の中でだけ楽しんでいます。公式は公式、それとは全く別で夢で遊ばせてもらっています。(申し訳ありません。)そういう意味でも公式に夢の概念を持ち込まず、シンプルに公式として楽しめているのでそれは自分として心置きなく公式を楽しめて幸せだなと思っています。
あと、戦闘シーン最後は足取りや実態の掴めない鬼舞辻無惨とか鬼側の強さを仄めかすシーンになっていましたね。
つまりアニメ、とても良かったです。本当にありがとうございました。
(珍しく意見を言ってしまいました。あくまで個人の感想です。スルーして頂ければ幸いです。)
二つ前の記事に「公式カップルと夢妄想について」と言う一年半前の記事があります。もし、ご興味をお待ちになった方がいらっしゃれば、ご覧になってください。
https://note.com/tulip_crystal/n/nc7cfa06644b5