カウンセリング=ホスト通いみたい?
カウンセリングを受けるのは大好きだけれど(安心できる相手であればね)、ふと虚しくなることもある。
これだけの金額をお支払いしないと、会話さえしてもらえない私ってなに?って。
もちろんカウンセラーって大変なお仕事だってわかってる。
ビジネスだってわかってる。
私は周りの人に理解してもらいにくいけど、カウンセラーの人は理解を示してくれる人が多い。ありがたい。
でもそれって、彼らの職務の一部でしょ?って。
(稀に怒鳴られたりしますけどね。ほんと、いや。
ボランティアでカウンセリングをやっておられる方もいらっしゃいますが、
私は以前、そういった方のカウンセリングを受けている間に理不尽なことで叱られたり声を荒げられたりして、フラッシュバックを起こしたことがあるので、無料でも絶対に受けません。)
お金をお支払いした人には自分を認めてもらえて、現実世界では私を認めてくれる人がまだいない。
それか、カウンセラーの高度なコミュニケーションに慣れすぎていて、一般の人の言いたいことを聞き逃してしまっている??
そしてまたカウンセラーの元に戻りたくなる。カウンセリング依存症か。
ホスト通い(行ったことすらないけど)を続ける女性の気持ちがわかるような気がする。
けどもうお金がない。
「地球はお前のために回ってんじゃねーぞ」って、わかってる。
招待制のコミュニティに入れてもらっても、私の投稿に気づいてくれる人さえほぼいない。疎外感。
私にもいつか、苦楽を共にできる仲間ができたらいいな。
このあいだ、私の肌がきれいだと何度も言ってくださる方がいて、
「日光過敏症(紫外線アレルギー)もちなんですよ」と照れと謙遜の気持ちを込めて応えた。
そしたら、「シミとかできなくていいねっ♪」てとてもプラスでピュアな感じでおっしゃったので、「あ、は…い…」(そういう見方もあるんだな)とごまかして終えた。
後になって、『もし同じアレルギーを持っている人に出会ったら、(よろしかったら)「大変ですね」と言ってあげてください』とお願いした。
とても丁寧で真摯なお詫びをいただきました。この方はとてもきちんとされている。
やっぱりね、不完全な人・対・人なので誤解があったり、カウンセラーに悪意がなくても、こちらがいやな気持になってしまうこともある。
そういうところは現実と一緒なのにね。
しかし、カウンセリング料金、たっかいな~~
よく今まで払ってきたものです。
アメリカの大学内の健康センターでは、カウンセリングを何回受けても無料でした。
そんな私からすると、よく頑張りました。
弱音、しつれいしました。
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