無学な母が遺してくれた母子手帳【音声と文章】
山田ゆり
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※ずっとこらえていたのですが最後は泣き声になってしまい、申し訳ございません。
※音声と文章、どちらでも楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
無学な母が遺してくれた母子手帳
ということをお伝えいたします。
あなたのお誕生日はいつですか?
ほとんどの方はすぐに答えられると思う。
では、何時何分に産まれましたか?
それに即答できる方はあまりないのではないだろうか。
3人の娘たちの母子手帳は私が持っている。
もしかして成人してしまったから
本人へ渡すものなのかもしれないと思いながら
でも、時々、振り返りたくなるから
まだ私の手元に置いてある。
ところで私は何時に産まれたのだろうか。
母の遺品を探してみた。
あの母のことだから、無いかもしれない。
しかし、それは簡単に見つかった。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2022/01/2022-01-12_06h36_07.jpg
あの整理整頓が得意ではない母にとって
母子手帳を保管していたことは驚くべきことだった。
母は昭和一桁生まれで
大農家の二女だった。
兄弟は戸籍上、全部で6~7人だったが
母のお母さん、つまり私にとって祖母の産後の肥立ちが悪くて
ほとんど生後数日後に赤ちゃんが亡くなり
生き残ったのが母の姉と母二人だった。
そして母は大農家の後継ぎになった。
当時、数人の作業員を雇っていたそうだ。
何丁もの田んぼがあり
母は朝から晩まで農作業に明け暮れていた。
母のお父さん、つまり私にとって祖父は
明治生まれで戦時中は船に乗っていたと母から聞いていた。
「女に学問は必要ない」
そういう人だったから、母は尋常小学校しか出ていない。
しかも戦時中だったからまともに勉強を習ったことはなく、
なぎなたの練習や、防空壕にもぐる練習をしていたそうだ。
だから母は日本人なのにまともに漢字が書けない。
なんとなくその文字を連想させる
その程度の字しか書けない。
だから字を読むことができず
本を読んだり、書くことをほとんどしない人だった。
物の管理をどうすればいいのか
そういう教育を受けたこともなく
また、家庭においては
病弱なお母さん(私の祖母)が
学生時代に亡くなったので
片付ける方法を知らされることもなかった。
家のことや農業の手伝いで一日が終わり
片付けどころではなかったのだろうと思う。
母が遺してくれた母子手帳を開く。
産まれるまでの過程は何も書かれていない。
なんと、いきなり出生時の申請時の記録に
医師の字で体重などが書かれている。
いくら探しても産まれるまでのことは書かれていない。
お腹が張ってきたとか
赤ちゃんがお腹を蹴ったとか
そんな言葉を私は期待していたが
まったくそれは無かった。
そして、次は生後11か月と5日に
身長と体重が保健師さんか誰かの字で書かれていた。
それからまた空白のページが続き、
その次は3年後の生後3年7か月の時。
そして予防接種の記録が医師によって書かれていた。
母子手帳に、母の字は無かった。
期待はしてなかった。
でも
本当は期待していた。
「手が小さい」とか
「泣き顔がかわいい」とか
ひと言、書いているのではないかと期待していた。
でも、なかった。
そうだよな。
母は字を書くことができない人だったから。
仕方ないよな。
そう自分に言い聞かせて母子手帳を閉じる。
ふと、表紙の母子手帳の交付日に目が言った。
その日にちはなんと
私が誕生した3日後だった。
私が娘たちを身ごもった時は
妊娠が分かった段階で母子手帳が交付され
それから出産までの数か月は
〇か月検診があり、
出産までの自分の体調を記していた。
しかし、母は母子手帳の交付は
出産して3日後に母子手帳を交付された。
ということは
妊娠が分かって出産するまで
定期検診を受けていなかった可能性がある。
当時がそういう制度がなかったのか?
もしかして、あったとしても
あの厳格な祖父のことだ。
「定期検診なんて、そんなもの、いかなくてもいい。」
と言っていたのかもしれない。
病弱な祖母が何人も子どもを産んでも
すぐに赤ちゃんが亡くなったのは
そういうことかもしれない。
だから
母子手帳に母が何も書いてくれなかったけれど
この手帳を残しておいてくれたこと
それが私に対する
母の愛だと今は思える。
ありがとう、おかあさん。
おかあさん、会いたい。
おかあさんのあのカレーライスが食べたい。
亡くなった弟も
入院中に同じことを言っていた。
無学でいつも農作業の格好ばかりで
他のお母さんに比べて田舎者で
お弁当の中身も恥ずかしいくらい質素だったけれど
やっぱり
おかあさんが大好き。
おかあさん
母子手帳を残してくれてありがとう。
今回は
無学な母が遺してくれた母子手帳
ということをお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
山田ゆりでした。
◆◆ kindle出版しました! ◆◆
【わたしだけじゃないんだ】
突然、アルツハイマー型認知症になった同居の実母を介護した、
子育てOLの10年と10日の記録
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◆◆ インタビューを受けました ◆◆
https://www.youtube.com/watch?v=jEq5g0xZ6RY&t=134s
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http://yuuki2.com/l/u/Z4bGUPjaVPxU6Dk5
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ゆりからのメールマガジン。
無料レポートも特典も
ランディングページもありません。
日々のちょっとした気づきを
発信しています。
◆◆ note有料マガジン ◆◆
【自分のための人生】
https://note.com/tukuda/m/m5b66808db98c
『読むとほっこりする』
『胸にじーんと来ました』
などの感想をいただいています。
.。*゚+.*.。 ゚+..。*゚+
大それたことはしなくてもよい
そこに向かう姿勢が大事
日々忘れない努力をする
.。*゚+.*.。 ゚+..。*゚+
※音声と文章、どちらでも楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
無学な母が遺してくれた母子手帳
ということをお伝えいたします。
あなたのお誕生日はいつですか?
ほとんどの方はすぐに答えられると思う。
では、何時何分に産まれましたか?
それに即答できる方はあまりないのではないだろうか。
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もしかして成人してしまったから
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でも、時々、振り返りたくなるから
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あの母のことだから、無いかもしれない。
しかし、それは簡単に見つかった。
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母は昭和一桁生まれで
大農家の二女だった。
兄弟は戸籍上、全部で6~7人だったが
母のお母さん、つまり私にとって祖母の産後の肥立ちが悪くて
ほとんど生後数日後に赤ちゃんが亡くなり
生き残ったのが母の姉と母二人だった。
そして母は大農家の後継ぎになった。
当時、数人の作業員を雇っていたそうだ。
何丁もの田んぼがあり
母は朝から晩まで農作業に明け暮れていた。
母のお父さん、つまり私にとって祖父は
明治生まれで戦時中は船に乗っていたと母から聞いていた。
「女に学問は必要ない」
そういう人だったから、母は尋常小学校しか出ていない。
しかも戦時中だったからまともに勉強を習ったことはなく、
なぎなたの練習や、防空壕にもぐる練習をしていたそうだ。
だから母は日本人なのにまともに漢字が書けない。
なんとなくその文字を連想させる
その程度の字しか書けない。
だから字を読むことができず
本を読んだり、書くことをほとんどしない人だった。
物の管理をどうすればいいのか
そういう教育を受けたこともなく
また、家庭においては
病弱なお母さん(私の祖母)が
学生時代に亡くなったので
片付ける方法を知らされることもなかった。
家のことや農業の手伝いで一日が終わり
片付けどころではなかったのだろうと思う。
母が遺してくれた母子手帳を開く。
産まれるまでの過程は何も書かれていない。
なんと、いきなり出生時の申請時の記録に
医師の字で体重などが書かれている。
いくら探しても産まれるまでのことは書かれていない。
お腹が張ってきたとか
赤ちゃんがお腹を蹴ったとか
そんな言葉を私は期待していたが
まったくそれは無かった。
そして、次は生後11か月と5日に
身長と体重が保健師さんか誰かの字で書かれていた。
それからまた空白のページが続き、
その次は3年後の生後3年7か月の時。
そして予防接種の記録が医師によって書かれていた。
母子手帳に、母の字は無かった。
期待はしてなかった。
でも
本当は期待していた。
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この手帳を残しておいてくれたこと
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おかあさん
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今回は
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本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
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